夢見処〜シロガネ〜
□或る街の黄昏譚
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それは始まりの音。
(切甘/現代/沖田総悟)
或る街の黄昏譚
大学に通い出してから乗るようになったバス。
普段は利用客も多いそのバスが、授業終了後と部活終了後に被らない夜7時から8時の間だけ客は格段に減る。
いつの間にか俺は図書館やホールで時間を潰し、閑散とする時間帯を狙ってバスを利用するようになった。
満員のバスに乗ってまでして早く帰らなきゃいけない理由は無いからだ。家までがバスで40分と長い分、座れなかった時の苛立ちは相当来る。
そんな風に時間をずらして乗るようになって一年。
俺と同じ時間帯にいつも乗車している一人の女が居た。
前から4番目の座席に座る彼女と、後部座席に座る俺。
本を読んで飽いたら仮眠を取る彼女と、ずっと音楽を聴いてる俺。
俺の下車の3つ前で降りる彼女と、一番最後に降りる俺。
名前も年齢も知らない(でも大学前から乗車するから同じ大学生だろう)。顔も横顔しか知らない。彼女の方は俺の存在に気づいてるかどうかも分からない。
それでも、後部座席から窺う彼女の後姿は何故か惹かれるものがあった。
髪は闇のように黒く、肩につく辺りで揃えられていて、いつも淡い色のシャツにジーンズ。
変わったところはそうあるわけでもないが、何故か俺は気づくと彼女を見つめていた。
「って、近藤さんじゃあるまいし」
ストーカーと言うには違う気がする。
そういうことではなく、……いや、説明するのはかなり難しい。
『次は――』
耳に入って来た聴き慣れたアナウンスに俺は彼女の方を見た。
次の停留所で彼女は運転手に礼を述べて下車して行くだろう。
彼女はいつものようにブザーを押そうと手を伸ばしたが、何故か押さずに手を下した。
一年近く同車して、彼女がこの停留所で下車しないところを初めて見る。
今日は何か別の用事があるのだろうか。
しかし、心なしか後姿がいつもと違って元気が無いように見えた。
『次は――』
流れるアナウンスは、いつも俺が下車する停留所名を告げた。
俺がブザーを鳴らす前に、彼女がブザーを鳴らした。
「え……、」
思わず声が漏れた。慌てて口を押さえる。
まさか同じ停留所で降りることになろうとは思わなかった俺は何故か動揺した。
交わることのなかった線と線が交わった、そんな感覚が俺の体中を駆け巡る。
バスが停車し、彼女は立ち上がった。俺も続けて立ち上がる。
いつものように運転手に礼を述べ、下車する彼女。
定期を見せ、俺は彼女に後れをとらないように足早に下車した。
俺とは逆方向に向かおうとする彼女を見て、声よりも先に手が出た。
驚いた表情で振り返る彼女。この時初めて俺は真正面から彼女の顔を見た。
「な…、何か…?」
怯えたようなか細い声に、俺はうまく言葉を発することが出来ない。
「あのっ……え、と……」
「は、はい…」
思いきり怖がってる。何やってんだ、俺は。
溜め息をつきそうになったが、寸前で堪えた。
「いきなりすいやせん。いつも3つ前で降りるの見てたんで、つい…」
「え……?」
「や、別にストーカーとかじゃなくて、単純に気になっただけで!」
「あぁ…、いつもバス同じですもんね。えっと、確か……沖田さん?」
「! 何で俺の名前…」
「法学部の沖田さんと言えば、学内で知らない人は居ませんよ」
そういえば、よく俺を指差して何かコソコソ話してる女子をよく見かける。
学内で知らない人は居ないほど知られてるとは思わなかったが。
「私、家がこの近くなので……本当の停留所はここなんです」
「え?」
「でももう、あそこで降りる理由が無くなったんです。だから…」
「そう、だったんですかィ。すいやせん、人様の事情に首突っ込んじまって」
「いえ、気にして下さってありがとうございます。沖田さん」
寂しげに、それでも柔らかに彼女は笑った。
そして彼女が名乗る声音と同時に、俺は何かが始まる音を聴いた。
*End*
(優しい方なんですね、沖田さん)
(あ、いや…俺はただあんたが…)
(?)
(…何でもありやせん)
何となく、バスのお話が書きたくなりました。
それだけです(笑
彼女が3つ前で降りてた理由は何だったんでしょうか?
それは皆さんのご想像にお任せします。
2010.7.1