夢見処〜シロガネ〜


□昏い月と名もない唄
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胸騒ぎがした。

(狂愛/切/高杉晋助)











昏い月と名もない唄
















昏い月が見えた。

心を騒ぎ立てるような、警告を発しているような。そんな、月が。


「……晋さま? 如何なさいました?」

「帰る」

「もうですか? もっとゆっくりして行って下さいな」

「今度はゆっくりして行く」

「絶対ですよ。行ってらっしゃいまし」


最近気に入りの遊郭を後にし、俺は根城に戻った。

転々としてやっと落ち着いたその根城はいやに静かで、思わず眉を潜める。

皆寝静まっている(番をしている連中は起きてはいたが)というには、音という音が少ない。

全身に神経が行き届き、気が張り詰めた。

この早鐘のように逸る感じは何だ。敵襲か?

いや、それにしては静かすぎる。

皆が雑魚寝している部屋を覗けば、ぐっすり寝ていた。

微かに安堵の息を漏らし、自室へ向かう。


――そこには、一人の女が居た。


「何してんだ、人の部屋で」

「今日も遊郭ですか。晋さま」


この鬼兵隊の中で遊女と同じ呼び方をするのはこの女くらいだ。

最初の頃は遊郭へ行っているようで呼び方を窘めたが、直る気配が無いので諦めた。


「私じゃダメですか…。どうしていつも遊郭へ…」

「オメーみてェな乳臭ぇガキじゃ、そんな気も起きるめえ」


何か言いたげに顔を上げたが、諦めたように眉を下げて再度俯いた。


「分かったなら出て行け。俺ァ今、虫の居所が悪い」


袖から煙管を取り出しながら窓辺に腰を下ろす。

すぅっと入って行く煙が、荒くれだった気を鎮めた。


「……私、知ってます。本当は晋さま、すごく優しいんですよね」

「あァ……?」


優しいだと? この俺が?

長らく聞いていない単語を聞き、俺は耳を疑った。


「だから、私を死なせたことを背負って忘れず生きて行くんです」

「何を――」


ザシュッ…


止める間も無かった。さすがの俺もこうなるとは思わなかった。

首を掻っ切るなんざ、この女がするとは思えない所業。


「バカ野郎!」


愛用の煙管を投げ捨て、大量出血をしている女に駆け寄った。

傷口はぱっくりと裂けていた。まるで女の覚悟を証明するかのように。


「気、紛れに……拾われた、のだ、と……して、も……」

「喋るな、今医者を」


女は息も絶え絶えに、傍を離れようとした俺の袖を掴んで制した。


「晋さ、まの……お傍に……居られて、嬉し……かった」


徐々に掠れていく声に、俺は呆然としていた。

こんなか弱い力で掴まれた袖くらい、簡単に振り払えるのに動かない身体。

現状がうまく理解出来ていなかった。


「ふふ……」


満足そうに笑う女を見ていることしか出来ない。

なんて無様な姿だ。幕府すら恐れるこの高杉晋助が、なんて醜態。


「愛…してる


最期の力を振り絞ったように、愛の言葉を囁いて女は息絶えた。

かくんと傾く頭部。滑り落ちる指。

自害したっていうのに、満足そうで安らかな死に顔。

吐き気がするほど憎らしいその身体を床に下ろし、落ちている煙管を拾う。

窓辺に腰を下ろし、再び煙管を口にした。


「ふー……」


確かにこの女を拾ったのは気紛れだった。

だが、ただの女を鬼兵隊に迎え入れるほど俺は偽善者じゃない。

――俺に次ぐほどの洞察力の持ち主だった。それこそ、俺がたまに意見を問うほどの。

女もそれを多少自負していたはずだ。


「見込み違いか」


俺はお前の心を知っていた。だがお前は俺の心を知らず死んだ。

俺が遊郭へ向かう理由。お前を抱かなかった理由。

お前なら見抜けると思っていた。それは俺の見当違いか?


「……いや、その逆、か」


見抜いていたからこそ許せなかったか。俺が遊女を抱くのが。


「ククッ。面白ェ…」


確かに女の言う通りになるだろう。この死を、俺は忘れられない。

鬼兵隊の中で唯一、俺が気を許した女だった。


「だがよォ……バカだな、オメーは」


俺を孤独から掬い上げたはずのお前が、また俺を孤独へ落とすのか。

それまで見越していたとすりゃ、本当に惜しい人間を亡くしたな。


「世知辛いってーのは、こういうことか?」


大事なモンはいつも俺の手から零れ落ちる。

大層なことは何も望んでいなかったのに。


それでも進まなきゃならねェのか。俺は。

独りで、どんな道をも。


「さすがに……堪えるな」


この昏い月すらも、俺を加護してはくれない。


*End*







(陽の元を歩くのはもう止めた)
(昏い月の元を歩こうと決めた)
(誰も何も加護してくれないこの世界を)
(俺はぶっ壊す)



ヒロイン、策士です。
高杉さんが自分を想ってくれてるのを知っていて、永遠に自分を想っていてくれるように死を捧げました。うーん、もっと健気な感じを出したかったのになぁ…。
あ、でも高杉さんの迷いがちらりと出せて良かった!
この後、今現在の高杉さんへ…というイメージです。

2010.9.17


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