ありがとうございます!!


Tea for two

1,最初の1杯【司令部名物泥水コーヒー】

 デスクの隅にはこれ以上はもうどう頑張っても入らないと言うほど、山盛りに吸殻が詰め込まれた灰皿。
 終わりの見えないデスクワークに、ハボックは少々では無く苛々していた。
 元々書類の作成は苦手だが、それ以上に数字ばかりが並んだ書類を眺めるのが嫌いだ。だから少隊ごとに順番に回ってくる備品と武器、銃火器類の点検の当番が自分の隊の番になると、それだけで憂鬱で仕方がない。
 それでも前回の点検と比べて特に問題がなければ、少々苦手な仕事に手間取るくらいのものなのだが。
「くっそ、誰だよこんなデタラメ並べたヤツ…」
 何度数えても銃弾の数が合わない。
 それも支給品の拳銃用の9ミリパラベラム弾の数が合わないのだ。圧倒的な在庫数はただ数えるだけでも大変だと言うのに、仕入れとこのひと月の間に使用された数と在庫の数字がどうやっても合わない。
 今日半日、ずっとこの数字に悩まされ続けているハボックは、人間煙突よろしく煙草の煙を吐き出し続けている。
 司令部で月例の備品点検をしたことがあれば誰もが一度は通っている道であり、ハボックの苛立つ気持ちも十分に理解できるもので。
 だから室内がハボックの煙草の煙で真っ白に煙っていても、誰も文句を口にはしない。ただそっと、窓を開けて煙を外に逃がすだけだ。そして退勤時間を迎えた者たちはそっと、司令室から逃げていく。
 気が付けば夜勤担当者が遠巻きにハボックのことを見ていた。全員の顔に気の毒に…と書いてあるのが、却って腹が立つ。
 このひと月の間に使用された銃弾の申告数を最初から順番に足して行くだけで一苦労だ。雑貨屋の息子だからと言って、計算が得意な訳ではない。むしろレジは数字を入力すれば勝手に計算してくれるので、暗算が出来なくてもどうにかなるのだ。
 ハボックの手には小さすぎる電卓で何度も計算を繰り返すが、途中で訳が判らなくなってくる。
 いっそぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に捨てられたらどれだけいいか。
 腹の中に溜まった苛々ごと煙を吐き出すものの、貧乏ゆすりが止まらない。
 頭を抱えて叫び出しそうになったところで、目の前に見慣れたカップが静かに置かれた。
「少し休め。お前がそうしていると部屋の空気が悪くなってかなわん」
 頭上から降ってきたのは、少々呆れている様な気配を滲ませた上司の声。目の前に置かれたカップは、使いこまれて汚れが落ち切らなくなってしまった、ハボック愛用のカップだった。
 カップの中身は司令部名物泥水コーヒー。
 戦場で泥水を使って淹れた様なまずさから、兵士達の間でひそかにそう呼ばれている東方司令部名物だ。
 要は司令室の片隅の安物コーヒーメーカーで安物の豆を使って淹れられた揚句、保温ポットの中に何時間も放置されて、香りが飛んで煮詰まってしまったものなのだが。
 顔を上げればこちらも今日は残業らしく、小脇にファイルを抱えて同じ泥水コーヒーを注いだカップを持った上官がふらりと自分の席へ向かっている。
「…ありがとうございます」
 本来ならばハボックが気を利かせなければいけないところではあるのだが、目の前の数字に苛々していてまったく気が回らなかった。
 そしてまさかこんなことをしてくれるなんて思っていなかったから、礼を言うのも少々遅れた。
 気にするなと言う様にひらりと手が降られて。
「不味いコーヒーでもないよりはマシだ」
 そう言って、ハボックの上官、ロイ・マスタング大佐は自分の仕事に戻っていった。
 短くなった煙草を無理矢理灰皿に突っ込んで、ロイが手ずから淹れてくれたコーヒーを啜る。
「甘っ…まっず…」
 煮詰まって真っ黒になっていた水色に反して、砂糖が大量投入されていたらしいそのコーヒーはお世辞にも美味いとは言えないものだったのだが。
 ハボックの口元には、苦笑が浮かんでいた。






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