隠れ家

□ディジタリア
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男が視線を上げれば、その切り裂かれた咽喉の奥に覗く白い骨だとか、淡い桃色をした肉が見えたであろう。開いたまま眼球が徐々に濁っていくのが見えただろう。その口唇の端を一筋伝って落ちた血が、赤黒く固まりかけていくのがつぶさに観察できただろう。

男は震える呼吸に喉を詰まらせ、血まみれの刀を懐紙で拭うことも忘れて鞘に収めた。
力の入らない膝頭が震えている。感覚の失せた足が怯えて、あとずさった。

「ひじ、かた…」

切れ切れの呼吸音に混じる阿児のような声音は、血溜まりに弱弱しく墜落する。

結局男は死者の顔に視線を向けることも出来ず、小さな家を後にした。










桂小太郎が高杉を匿ったのは、二週間前のことだった。
桂と高杉は数ヶ月前には派閥ぐるみでひと騒動をやらかした間であり、桂としても昔なじみという意外には高杉との関係はほぼ断絶状態だったのだが、そんなことを桂が忘れてしまったほど、高杉の状態は酷かった。

歯の根も合わぬ程に震えて、全身を真っ赤に染め上げたかつて魔王と呼ばれ、天人たちから畏れられた男は焦点の合わぬ目でふらふらと彷徨っていた。たまたま見つけてしまった桂は心底早朝の散歩を悔やんだものだが、真に悔やむべきなのは、自分のお人好しぶりであったろう。そのままとりもとりあえずぐっしょりと湿った袖をいやいや捕まえて、隠れ家に連れ込んで、桂は高杉を風呂場へと放り込んだのだった。
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