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□烟月譚
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そう、なったのはおそらく必然だったのだ。

そんな大層なものではないかも知れぬ。
だが遅かれ早かれ、男はそれを実行しただろう。
倫理や道徳で自分をがんじがらめに縛ってもきっと実行しただろう。
ひと時匣の中に押し込めて鍵を閉め幾重にも鎖を巻いたとして、いつかふと心に隙間が出来たとき、鍵は外れて内容物は男の胸を浸すかのように広がりしみこみ、判断力を失わせたであろう。

それはそういう類のものだった。
そういう類の、どうにもそらしようの無い、願望であった。

遠からず男は決断をした。
決断せねば、逃れられぬ願いであった。
反対する人間を無理やり黙らせるのにもさして労は無かった。
言い含め脅し宥めすかした挙句に手に入れる。合意などひとかけらも無かった。

酷い恋を、したのだ。

狂ってしまうかもしれぬという恋だった。
否、男の胸中に渦巻くものは到底恋や愛などとは形容が出来ぬ。
既にそれは妄執だった。盲愛であり猛愛であり、妄愛だった。

手に入れたい。

支配欲が滾って際限も無く次から次へと沸き出してくる。

鈴の廊下は駆け抜けた。
畏まって自分に頭を垂れる幾多の女たちの姿は目にも入らなかった。

奥まった一室では、白い夜着を着た男が静かに布団の横、正座して自分を待っている。
後ろ手で障子を閉めてしまえば、部屋は灯火のあかり一つの頼りない曖昧さに覆われた。

勢い込んで駆け込んできた男を見ても、白い男は顔を伏せたまま、畳の目に視線を落としている。

「土方」

呼ぶ声は掠れていた。
白い男はゆっくりと顔を上げた。
異人のような薄蒼い睛がまるで鏡のように自分を映したけれど、びいどろのように澄みすぎた睛の中はがらんどうだ。

男はその口唇にむしゃぶりついた。

胸腔の中で荒れ狂っていた渇きが潤っていく。
飢えが満たされていく。

けれど組み敷いてから、同じようにその胸中男は思った。






――――それでも結局、自分は満たされないのだ。





  ++++++


指先ひとつでも、その時触れていたら未来は変わっていたかもしれない。

決して幸福ではないが、自分たちは少なくとも不幸にはならなかったであろう。
だがそう吐露するには全てが遅すぎた。全てが駆け抜けた後の荒野に立っても、銀時は一人、両手で顔を覆うことしか出来なかったのだ。


そのころ、


銀時と土方は、ひっそりと寄り添っていた。

切っ掛けが何だったかは忘れてしまった。
だが始まりのその時、身体の心に積もり積もっていた感情が一気にあふれ出していく感覚や、ガチガチに固まっていた自分の手足や、舌がもつれ絡まったもどかしい感覚だけは今でも鮮明に覚えていて、記憶の取捨選択能力に銀時は笑い出したくなる。
身体の方が昔のことは良く憶えているのだろうか。
最後に触れたいと思った指先を必死で抑えて、強張ってしまった筋肉のことなんて、忘れてしまえばよかったのに。

付き合っていたとはいえど、手を握ることすらためらうような関係だった。
二十歳をとっくに過ぎた男同士が何を奥手に初心がっているのかと今でも思うのだが、だがその時は土方の口唇に触れることすら、銀時は多大な勇気を必要とした。
そんな、子供のような恋だった。
否、今時子供といえど当時の自分たちよりずっと進んでいるに違いない。
銀時はいつでも土方に触れることに躊躇した。
なんら否定的な感情があったわけではない。
ただ自分が何か行動をすることで、土方が怯えないか、傷つかないか、嫌われないかばかりを考えていた。

その時自分は全く臆病だったのだ。
そしてそれと同じくらい、土方もまた、臆病だった。

だからあんな風に自分たちは別れることしか出来なかったのだろう。
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