隠れ家

□音紬
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畳がしっとりと湿っていると思うのは、そよそよと吹き込む風が湿り気を帯びているからだ。

高杉は無言で、杯を舐めるようにして干した。
随分と遠くに膳が置いてある。その皿に向こう側で、黙々と男が魚を毟っていた。否、毟るというよりには、その手つきは随分と丁寧だ。敵地で、しかも高杉は膳に手をつけていないのだから、普通は毒でも入っていないかと恐れるものなのだが、こちらを信用させるためには多少の危険には目を瞑るらしい。
胆力だけは、中々あるようだった。
高杉は端から、膳に手を付けるつもりもない。
この後はもっと重要な用事が彼を待っているのだ。余計なことはしたくない。手杯に手酌でちびちびと注いでは、ゆっくりと舐めるだけだ。
もとよりザの高杉だが、空きっ腹に酒を入れれば多少は回るのも早くなる。
ほんのりと酒気をまとう口唇をぬぐい溜息を吐いて、高杉はゆっくとり退屈な話に飽いて立ち上がった。

「そうじゃねぇだろ、伊東」

懐を探り煙管を取り出して、刻み煙草に火を入れると、高杉は肺腑の奥まで毒の煙を招き入れる。

「てめェは理解者が欲しいんじゃねェ」

ゆっくりと再び肺を空にして、高杉は伊東に近づいた。
話の腰折られた男が、怪訝そうに高杉を見上げている。
造作もいい。口もよく回る。腕も上々だ。
だがこの男は、どうしようもなく飢えている。
それだけの素質があれば、どこかで近づいてくる人間はいるだろうに、肥大した自尊心のためにそれを伊東は拒むしかない。他人を認めれば、自分の形に傷がつくと伊東は思っているのだ。それは自分を他と区分し、至上のものとして生きてきた伊東には、耐え難いことに違いない。
伊東にとっては、唯一最大の理解者になれると彼が言う土方ですら、自分より下の人間だと思っているのだ。
自分より素晴らしい格上の人間だと思っていたら、やっきになって引き摺り下ろそうとするに違いない。
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