+++インソムニア+++

□夜半過ぎ
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中庭に降りた時には、音は結構大きくなっていました。もう叩きつけるみたいに。

水泥棒なんて今のご時勢ありえないし、侵入者じゃないとは分かったんでとりあえず肩の力抜きました。
それから気が付かれないように忍び足で壁の向こうに近づきましたよ。地面は乾燥してたから足音も無駄に鳴らないし、緊張はしましたけどそれは監察なんてやってるからいつものことです。
ここは自分のテリトリーなわけですし、そんなに手に汗握る、というようなことは無かったんです。


それを見るまでは。


人がひとり、井戸の中に身を乗り出すようにして釣瓶を手繰ってました。

細い影です。でも骨格はしっかりしてる。男でした。ここには滅多に女の人なんてこないわけだからあたりまえですけど。
桶を手に取った瞬間、ざぱんと勢いのいい音がして、思わず俺は目を瞑ってました。頭から男が水をかぶったんです。この周囲は個人の部屋なんてものはないから気がつかれないだろうけど、それでも結構な音でした。

本当に真っ黒な影がぶるりと頭を振るとぼたぼたという音がして、水滴の軌跡まで想像できるようでした。

今日は新月だったんです。

視界がいよいよ効かない日だったんです。だから俺も、いつも見慣れているのにそれが誰だか、しばらくしないと気がつきませんでした。

真っ黒い影。
頭も服も黒っぽい色で、その裾から覗く手足と首筋だけが妙に生白く思えました。
色を失って、青ざめているといって良いような。

男は後ろ向きでしたから、こちらには背中しか見えなかったんです。でも少し襟足が伸びた髪を見て、あれと思いました。光が無くったってわずかに艶が分かりました。夜見たら、あんなに細く見えるのかと思いましたよ。気付いた瞬間愕然とました。

それは土方副長でした。
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