+++アンニュイ 弐+++

□人形が人間に成る瞬間
1ページ/6ページ

この男はどこまであのゴリラについていくのだろう―――――そう、妙は訪れた男を眺めて思った。
いつもはきちりと隊服を着込んでいるくせに、今日に限って見慣れない黒い着流しに身を包んで、男は妙の前に静かに座している。彼が黒以外の着物を着ているところをそういえば妙は数回程度しか見ていない。いつも見ているのが隊服で、私服なんとほとんど見ないから仕方が無かった。混じりけの無い黒は、彼の組織の象徴であり、そして何より彼自身の色だ。

土方が訪れたのはキャバクラ―――――と呼ばれる天人風の飲み屋である。

さすが隊服のままでこんなところに顔を出すわけにはいかぬと思ったのであろうか。彼の上司は時々隊服のままで訪れたりもするのだが。ゆるくくつろげられた袷のうちに覗く真白い肌が蔭を伴ってこの細い男の体を覆っているのを見てしまい、妙は何故だか見ていられないような気分になった。やせ細っているわけでも無いから痛々しいはずない。彼は標準よりはかなり細かったが、何故か頼りない印象は全く無かった。それはそうだ、彼は武装警察の副長なのだからそんな立場にいる男がまさか頼りない顔を晒しているわけにもいくまい。だがそのおもてにはおおよそ表情というものがない。まるで人形のようだと妙は思った。

キャバクラの控え室のひとつ、先刻ここに案内して腰を下ろして以来土方は身じろぎもしない。

女がうらやむ抜けるような色白の肌、濡れ羽色の髪にそこだけ血が通っているかのような紅い唇。
仄暗い室内の安っぽい蛍光灯の明かりがまたたくごとにちらちらと、その稀有な色をした異人のような虹彩は僅かずつ色彩を変えていくような錯覚を覚える。その眼が無ければこの男はやはり人形のように見えるだろう。
その証拠にとびきりの色男だというのに、その着崩した袷の内から垣間見えるのは客がちらつかせるような男の匂いではなくてどこか無機質な―――――現実離れした、死のそれに似た香りだ。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ