+++アンニュイ 弐+++

□蝶と、蜘蛛
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<鵺鳴>


その日は妙な夜だった。




生暖かい湿った風が地面からふわふわと立ちのぼりさわさわと肌をくすぐって妙に落ち着かない気分になる。
そんな日だった。
一雨くるのか、と思いたくなるほどの曇天だったが、その雲の切れ目からは橙が夜へと移り行く全くいつもどおりの夕刻の光景が垣間見える。不思議と仕事はいつになく早く片付いたものの、一向に良い気分にはなれなかった。
肌を湿らす空気が気持ち悪い。
軽く息を吐いて、煙草の火を土方はもみ消した。ふわりと上がるはずの紫煙は嫌がるように地面を這う。

―――――なんだか嫌な予感がしたのだ。

とは、後に続いた事件を思えばあまりにもありふれた感想であろう。平静な1日だとその時土方は思っていた。そのままで終わってくれれば風模様はおかしかったが、彼の思っていた通りの気に留めることも無い平静で平穏な1日で終わるはずの日だった。

「副長」

障子の外から隊士が自分を呼んだのは、夕餉の準備がそろそろ揃おうかというころだった。
日はもう沈んでいて、矢張り生ぬるい風が夜の間を滑っていく。

「お迎えです」
「どこからだ」

土方は一寸首をかしげて、上着を脱ごうとしていた手を止めた。どこへも今日はこれから行く予定は無かったし、呼び出しも受けてはいかったはずだ。この後は着流しに着替えて夕食の席について、その後は近藤がどうせスナックにでも行くだろうから(目的はストーキングなのだけれど)何かしでかさないように(ついでに回収役として)一緒に行くか、くらいに思っていたのだ。
さぁ、と隊士は首をかしげて幕閣の名前を告げた。土方がよく知る男だった。
何度か会ったことのある、直接は関わらないが真選組の上役の1人であった。
松平のように付き合いは無いし、また軽々しく付き合えるといえるような男でもなかった。警察寄りの何かの対策室の、次長だったろうか。真選組の上役といってもかなりの上部、松平より権勢自体は強いだろう。

だから余計に、何故そんな男が自分を呼び出すのか土方には分からなかった。
命令なら松平を通して近藤に行く。
確かに自分にその回線を飛ばしてやってくることもあったが、―――――それは、表向きにはいえない用件や近藤が眉を顰めるようなものだと決まっている。
用件を聞いたかと言えば、何も言っていませんでした、と隊士も怪訝そうな顔になる。
他者には言えないことか、と土方は嘆息した。十中八九、間違いが無い。
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