+++アンニュイ 弐+++

□春雨
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雨上がりのような香りが、ふとよぎる風を湿らせている。
しっとりと重い露の香りか、それともうっそりと繁りどこまでも続くかのような、碧のせいなのだろうか。
高杉は無言で、少し先に立つ痩せた男の背中を眺めやった。
細い背中はぴん、と張り詰めている。まるで野生の獣のように、今自分の在るこの場の情報を肌で全て感じ取ろうとしているようにも見える。
敵を目の前にした、まるで獣だ。
刀が腰にあるにも関わらず、そしてただ広大なまでの平地が広がっているにも関わらず、土方は野生の獣であることを止めようはしない。
まるで不意に畔の脇の茂みから敵でも飛び出してくるような目で、きっと己の立つこの世界を取り込もうと、視認しようとしているのだ。
全くその小さな頭蓋の中でに収めて、咀嚼しないとならないような気がしているのだろう。
高杉にとっては、何の変哲も無い風景である。欠伸がこぼれるほど、長閑だ。畦道に水車小屋に、遠く、瓦ではなく藁葺きの小さな農家。人の痕跡はそれくらいしかない。どこまでも長閑で、そして退屈だ。

土方が仕事と称して、この農村にやってきたのは、三日ほど前のことだった。
仕事は仕事だが、大した仕事ではない。真撰組が出来る時にどうやら世話になった人間がいるということで、それに新しい隊士募集の知らせと共に現状報告に行くのだという。相手は幕府の人間ではないから、仕事のふりもしきれていない、ただの私用だ。
最近仕事ばかりの土方を近藤が心配して五日ほど、休業を兼ねて送り出したのだった。
あたりに何も、そうそれこそ娯楽施設も何も無い片田舎なのだから、休むほかは無いのだ。だが折角の目論見も、どうやら外れているらしい。
高杉に向けられた背中は、弦のようにぴんと張り詰めている。
人見知りする性質の土方は、どんな環境にだって適応するのに時間が掛かる事を近藤が知らないはずが無いのだが――――それ以上に、黙っていたら仕事中毒がどんどん進行していくことを危険視したらしかった。
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