パエリア
□それはもうすでに
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あの人の愛情はわかりにくい。
それが、あたしの下した結論だった。
蟲が怖くなかったわけじゃない。副料理長たちに近付いて仕事をもらうには、そうしなければならなかったから必死だっただけ。
あの人が怖くなかったわけじゃない。怖がる素振りなんてしてみろ、ヘタしたらその場で御陀仏だ。助かったとしても以後いつでもからかいの対象になる。
それじゃダメ、ダメなんだ。
女だからってろくに仕事を貰えなかった前の職場のようじゃいけない。あたしはもっともっと、料理がしたいんだ。
「まあ、こんなことになるとは予想外でしたけどね」
「お前、何かに憑かれてるんじゃないか?」
「かもしれませんね」
副料理長チームには怖じけずに仕事をこなすことを評価され、美食會に入って数ヶ月でその補佐にまで上り詰めた。
雑魚どもからは「女のくせに」とか「女だから」とか「女なのに生意気」とかくだらない妬みや僻みが上がってるが、自慢の包丁数十種を構えたり、時には得意の薙刀を振るえば黙った。
「スタージュン様、あの方の意識をそらす方法って無いのでしょうか?」
「……いっそ男になるか?」
「マジですか、嫌ですよ。確かにこの男の巣窟に女ってのは怖いですけど、今はみんなあたしの刃物が怖くて怖くて仕方ないみたいですし…あと」
「?」
「阻止されそうって言うのと、もしやったら余計な情がついてきそうです」
「……」
ふぅ、とため息をつく。
スタージュン様と同じ副料理長のトミーロッド様は、こんなあたしがお気に入りの様子で日毎に口説かれている。
グリンパーチ様が言うに、「本気モードを見せても無反応だった」所が決め手らしい……ぶっちゃけ、見惚れてただけなんですけど。何あの緊密度高すぎる筋肉…やばいじゃん。
いや、別にフェチじゃないけど。あれだよあれ…トミーロッド様のギャップがね?
「嫌いでは無いのだろう?」
「それはそうですが……あたしの胃が痛い理由は既にお分かりでしょう?」
「……そうだな」
毎日毎日口説かれることには随分慣れたのだが、未だに慣れられないことが一つだけあったりする。それは…
「撫子」
「……」
「…;」
流石に、慣れられない。
振り向いた先には、不機嫌オーラがたっぷり詰まったトミーロッド様。この不機嫌はほぼ本人の所為なのだが、なぜかあたしとあたしの傍にいる人に降りかかる。
「ごきげんよう、トミーロッド様」
「撫子、お前何やってるの?」
「スタージュン様に今晩の調理内容の確認をしたあと僅かな雑談を」
「そう、なんで?」
「恐れ入りますが、本日はトミーロッド様からの呼び出しも無ければお約束も無く、あたしも自分の仕事は済んでおりますのでお話する義務は無いかと」
「上司が聞いてるんだよ、いいから答えな」
「それは職権乱用ですよトミーロッド様。ですので黙秘権を行使いたします」
「ざっけんな答えろ」
「……」
「……」
「……」
「……」
にっこり笑って薙刀を構える。後ろでスタージュン様が小さくため息をもらしたのが聞こえた。
「お前たち、いいかげんにしないか」
「うっさいなぁ、スターには関係ないだろ引っ込んでなよ」
「お気になさらないでください、スタージュン様。いつものことですから」
「いつものこと、で痴話喧嘩に巻き込まれるのは遠慮したいのだがな」
あ、そっか。
ここ、スタージュン様の部屋が近いんだった……まぁ、トミーロッド様がそれを考慮するはず無いけど。寧ろ部屋も巻き込む勢いだよ常に。
─ぐううぅぅぅぅ…
「あ」
「は?」
「?」
お腹空いた…今ダイエット中なんだよね……やばいなー、負けちゃうじゃん。
「ねぇ撫子」
「…何でしょうか?」
「またダイエットして、その無い胸抉れさせるの?」
「・・・」
うっわー…キタ、流石にキタわこれ。
無い?
抉れ?
…うん、無理。
「これでもCあるんですよ、バカアアアアアァァァァ!!!」
「あ、逃げた」
「…分かっていてやってるだろう、貴様」
「ふふっ、何にも反応しないのに胸だけは反応するんだから面白いよねぇ」
この人の言動は、すべてあたしにある。
まぁ、つまり、トミーロッド様に好かれているわけなんだけど。かと言って愛の言葉を囁かれたかと言われれば微妙なわけで。(だって俺様なんだもん)
「トミーロッド様のいじわる…」
「へぇ?」
「…なんですか」
「そろそろ撫子がボクのになるかなぁと思って」
「なりませんからっ!」
とらわれている、なんて。
今はまだ、認めたくない。