□□ 別れの歌を、君達に □□



まだ肌寒さの残る3月。
今年もまた、彼の元から沢山の子供達が巣立っていった。


幼い胸に忍の世界への夢を抱き、キラキラと輝く瞳達。
それを心から嬉しそうに眺めていたあの人は、とても強い人なのだと感じた。


誰にも言った事は無かったけれど。

自分はたった3人の教え子が手元を離れてしまっただけでも
心寂しく思ったものなのに。



「またその歌、歌ってたんですか」



明かりの消えたアカデミーの教室から聞こえてきた微かな歌声。
顔だけをこちらへと向けたその人は、窓から差し込む月光の中でふわりと微笑んだ。


「カカシ先生。今お帰りですか」

「そーよ。受付に迎えに行ったのにセンセってば居ないんだもん。探しちゃいました」


―本当は、
彼の居る場所など初めから分かっていた。

誰も居ない教室で明かりもつけずにひとり、佇んでいるだろう事も。



「それは済みませんでした」



背後から抱き込んだ腕の中で、彼が微笑んだまま謝罪の言葉を口にする。
何時ならばこんな場所でと強く抵抗される筈なのに、それが無い事に何故だか切なくなった。



「また歌ってたんですね」

「ひと月近くずっと聞いていたものだから中々耳から離れなくって」


彼が口ずさんでいたのは別れの歌だ。
先日彼が歌っているのを聞いた時に、卒業生が歌うのだと教えてくれた。

腕に触れる指先が冷たい。
火の気の無い教室、きっと長い時間此処に居たのだろう。



「何を見てたの?」



歌声に導かれるまま教室の入り口に立った時、彼は窓の外を見ていた。
忍が仕事をするにはこの上なく不向きな程に月の光が明るい夜だ。
薄いガラスの向こうには月明かりに照らされたアカデミーの校庭が見える。



「桜を見ていたんですよ」
「桜?」



確かに、校庭を囲む様に植えられているのは桜の様だ。
だがどれも蕾を固く結んだまま、時折吹き抜ける夜風に震えている様に見えた。



「あの木が満開の花を咲かせる頃には、この教室もまた煩い位賑やかになるんだなーって」



4月が来れば、忍を目指す沢山の子供達がこの学び舎へやってくる。
イルカもまた、彼等を忍の道へと教え導く日々が始まるのだ。

そして再び3月の訪れと共に巣立つ子等を見送って。

きっと今まで何十人もの子供達を送り出して来たのだろう。
卒業式の彼には寂しさなど微塵も感じられなかった。
ただ子供達の門出を心から嬉しく思う喜びだけ。


自分の場合、きちんと“送り出して”やれた訳ではないのだが。
それでもたった3人の生徒が去って行っただけで暫し感傷的になった自分とはまるで違う。



『朝夕馴れにし 学びの窓』


少しの沈黙の後、再び紡がれ始めた歌声


『蛍の灯火 積む白雪』


柔らかな表情は、まるで目の前に子供達がいるかの様で


『忘るる間ぞ無き ゆく年月』



彼は強い人だ
寂しさを喜びに代えられる


『今こそ別れめ』



だけど何故



『いざ さらば』


この歌声は、こんなにも切なく聞こえるのだろう―?



「イルカせんせ」
「……はい」


抱き締める腕に力を込める。


ねえ、本当は

「先生は、本当はさ」


口にはしない。
決して表には出さないだけで。


「寂しいの、我慢してるんじゃないんですか」


ぴくんと彼の肩が揺れる。
ゆっくりと此方を振り返ると、彼はその口元に苦笑いを浮かべた。


「まあ、全く寂しくないと云えば嘘になるかもしれませんが…」



卒業の朝、何故忍になりたいのかと問うた自分に大切な仲間を守りたいからだと力強く返事が返った。
未だ未熟で小さな子供だった彼等の背中は、何時の間にか見違えるほど大きなものへと変貌を遂げていて。


学び舎を巣立ち、忍としての道を歩み始める彼等の道のりは決して平坦なものではないだろう。
傷付く仲間を見、血塗られた己の手を見詰め、忍としての自分に疑問を抱く時もあるかもしれない。

そんな時は何時でも此処においで。
そしてまたあの日先生に見せてくれた笑顔を、忍になろうとしたその理由を、もう一度その手に取り戻し、元気に帰って行ってくれれば良い。


だってな――?


「どんなに時が流れようとも、何時までだって俺はあいつ等の先生なんですから」



彼の唇から零れ出る言葉達は喜びに満ち溢れ、先程までの切なさは欠片も感じられない。
その笑顔はまるで春の日差しの様に暖かく、透き通る空の様に晴れやかだ。


(ああ、この人は本当に…)


「イルカせんせって…根っからの先生なんですね」

「あれ、今更知ったんですか?」


するりと腕の中を抜け出る温もり。
教室の外へと歩み出した彼はこちらを振り返ると、意味有り気に唇の端を上げた。



「それに何時まで経っても俺から卒業してくれないおっきな問題児が一人、いますから。寂しいなんて思ってるヒマはこれっぽっちも無いんですよ」
「え…?」



どうやらその問題児とは自分の事を指している様で。



「ちょ…っ待ってよイルカ先生!俺は絶対アンタから卒業なんかしませんからねーッ!!」



スタスタと廊下を歩いて行ってしまった背中を追い掛け、教室を後にする。

チラリと振り返った視線に見えたあの人の教卓は、次の出会いを心待ちにしているかの様にキラキラと輝いて見えた。



end


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