「孔璋、起きよ…」 静かな呼びかけ。 優しく揺すられて、陳琳は目を覚ました。 目の前がぼんやりと明るい。時折、何かがきらきらと輝いている。 「孔璋…」 静かな低い声。 ようやく視界が闇に慣れる。 ほの明るい、やさしい灯火に照らされて、宝玉のような大きな瞳がこちらを見つめていた。 きらきらとした光は、夜目にも皎い頭髪の輝きだった。 瞬間、自分がどこに、誰といるのかを思い出し、陳琳は飛び起きた。 「今は…」 「もう夜じゃ。邸へは使いをやったぞ」 「…すまない」 「かまうまい。お前を寄越したのは、当の本初だからな」 手燭を引いた公孫瓚は、微かに笑って上着を差し出す。 「疲れているようだな」 「ああ、いや…まあ…」 「起こすのは忍びなかったのだが、風邪でもひいては、勤めに差し障りがあろう」 「ありがとう…」 ともし火を携えた長身が、月を受ける大窓にすらりと黒く重なった。 「伯珪、待て、動くな!」 鋭く叫ぶと、陳琳は慌しく筆を執る。 簡を開くももどかしいといわんばかりの荒っぽい動作を、公孫瓚はじっと、見守っていた。 「動くな…動くなよ…!」 「わかった」 月の光をきらりと反射して、赤い瞳が静かに耀いた。 そのまなざしの奥には、確かに閃きが燃えている。 埋火のように小さく絞られているが、その煌きと熱さは鑠金のごとく。 視線が針金のように絞られ、ただの一点を捕らえる、その先には黒く優美な影。 ぴしりと伸びた背から足元まで、白い練絹の打掛がなだらかな曲線を描いて落ちる。 青銅の燭台を片手に持ちながら、その腕はいささかも震えず、凛呼とした横顔は苦渋の色ひとつ見えない。 はりつめた室内を遠慮がちに揺らす隙間風が、時折、黒い影から銀の髪を梳き上げ、月の光にさらしていく。 そうすると、黒い影に白い光がまたたくのだった。 どれほど、そうしていただろうか。 ふうっと大きく息を吐き、陳琳が背を起こした。 「終わった」 赤い瞳が月明かりにきらりと輝いたが、先ほどの憑かれたような鋭さは、もう消えていた。 「そうか」 公孫瓚は何事も無かったかのように壁際へ行き、灯台に火を移した。 ぼんやりと室内が明るくなる。 「何を、書き留めていた?」 「水仙…あるいは月天子…」 「それはよい」 手燭をそっと吹き消し、芯を切る。 温みのある明かりに照らされて、公孫瓚の髪がつやつやと映える。 不思議なことに、この人の髪は、薄暗がりの月光には水滴がこぼれるようにきらきらと輝くのに、灯火のはっきりとした明かりには白くなめらかなように見えるだけだった。 ――この人は、夜に生きるよう、定められているのか知らん ぼんやりと考えていると、当の公孫瓚がこちらをみて、ふと笑った。 窓からの光が翳った。 「隠れてしまった…」 一人ごちて窓へ近づく。さばく裾の音が、さらさらと響いた。 前を歩いている公孫瓚に、さっと月光が差し込む。 陳琳は、はっと息を飲んだ。 「月出、皎く…佼人は僚たり」 古く美しい歌が、唇をついて出た。 優雅なしぐさも清げなる彼の人は、我が心を悩ませ、悲しませるのだと。 陳琳が、すっと手を伸ばした。 「あ…」 その手が、公孫瓚の腰を引き寄せた。 間近に赤くきらめく瞳が迫り、公孫瓚は息を詰める。 「俺が…誰であるか、知っておるのか…?」 「無論」 声が欲望にかすれた。 「我が殿の、妃だ」 口走るやいなや、繡の結ばれた腰を押し倒した。 |