帳中

□弄玉
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 見下ろす司馬懿の表情は、冴え冴えと冷えている。
 その寒々しい端正さを見ただけで、曹叡の胸にぞくりと奔る感情があった。

 それを読み取ったのかどうか。
 司馬懿の白い指は曹叡の薄い絹服に触れ、あわいをはだけてゆっくりと胸元をくつろげる。
 もう片方の手は器用に帯鉤を外し、帯を解きにかかっていた。
 その様子を見つめながら、曹叡は囁く。
「あなたは、毒だな」
「毒、でございますか」
「ああ。それも、媚薬のような猛毒だ」
 あまりな仰りようです、と、司馬懿は苦笑いした。
 曹叡もくすりと笑ったが、
「あなたに触れずにはいられない。……だが、触れれば身は破滅する。あまりに危険な香りに毒されてな。それでも――身を滅ぼすと解っていても、その甘美さを味わいたくてたまらなくなる」
 それがあなただ、と曹叡は言う。
 寡黙な君主に、これほど堕ちて美しい言葉を、饒舌に語らせる。
「あなたが欲しい。あなたを縛りつけられるなら、国など、天下など、やろう」
 熱に動かされたかのように激しい言葉を吐く。
 そのまま、口元だけを微笑に染めた司馬懿を、強く抱き寄せた。
「だから、私を……」
 言葉にならない激情が、語尾を掠れさせ、打ち消す。
 司馬懿はされるがまま体を預けながらも、主の愛情に飢えた様に、今は亡き想い人を重ねずにはいられなかった。


 彼は愛情に慣れておらず、他人との距離――肉親であろうと――は全て「支配する立場」しか取れなかった。
 それでいて、他人からの愛情を知らず知らずのうちに求め、求めながらも自分の性格に妨げられてしまう。
 一度愛せば限りなく鍾愛し、一度憎めば死んだ後も貶斥する。好悪の情が激しい人であった。
 そんなかつえた彼の心情を理解できたのは、片手で数えるほどだろう。
 だが、どれだけ彼を理解していても、彼がその人たちを心から信頼できていたか、といえば、それもまた疑問だった。
 いや、心を許しただけに、一度でも疑いが起これば烈しい憎悪に変わることは、想像に難くない。
 そうして、彼は最愛の人――生死をも共にした伉儷を、死に追いやってしまった。
 あの後、寝所でただ一筋、彼が流した涙。それをすくい取った感覚が、今でも忘れられない。


――お前だけは、私から離れるな。離れることは許さぬ。お前だけは……


「仲達」
 見下ろす視線の先には、あの人ではなく。
 しかし、限りなくあの人に近い表情をする、その子。
「こう呼ばれるほうが、好きか?」
 皮肉そうに笑い、我に返った司馬懿の首へ腕を回す。
「仲達」
 熱っぽく囁く声。張り詰めた孤独な響き。
「愛している」
 そうであれば、優しく応えてなければなるまい。

「私もです、元仲様」



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