捧物

□実は狼なんてありきたり。
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朝。ああ朝だ。
ちゅんかちゅんかと鳥の声が騒がしい。むくりと起き上がり、はてさてと首を傾げた。
何時も自分が起きる時間よりだいぶ早いような気がする。いや、気がする、ではない。事実、いつもの時間よりも早いのだろう。未だ空の大半は深い群青で、東の空が辛うじて薄青のような気がする程度だ。頭を疑問詞がうめる。何故?なにゆえ?
だが私の思考はいつになく騒がしい鳥の声に遮られた。ああもううるさいうるさい頼むから黙ってくれ私は今考え事を…。
耳を塞ごうと顔の横に手をおいた。しかし指先に触れたのは慣れた己の耳ではない。


「…なんだ、これは…?」


ふさふさと柔らかな手触り。信じがたいことだが、このとき私の頭からにょっきりとはえていたのは、大振りのぴんと立った獣の耳だった。



+++++



「…と、言うわけでして」

「何が『と、言うわけで』なのか、さっぱり分からんのだが?」


私の目の前には、気だるげな仕草で寝台に寝そべり、赤い瞳を胡乱げに細めたスコルピオス殿下。私が居るのは言わずもがなスコルピオス殿下の私室である。
先程、頭に獣耳が生えていることに気付いた私は、とりあえず人に見られる前に、とスコルピオス殿下の部屋に逃げ込んだのだ。彼ならばそう気にもすまいと思っての行動であったが、その期待は見事に裏切られ、そこでまあひどく不機嫌そうに眉をひそめたスコルピオス殿下に「何を遊んでいるのだ、貴様は」と詰問されているわけだが。


「つまりですね、朝起きたら頭に獣耳が、」

「まずそこからわからん」

「…でしょうな」


はあ、とスコルピオス殿下が盛大にため息をつく。ちょいちょい、と手招きされたので、屈んで寝台に顔を近づける。


わしっ

わしっ、わしっ

わしっ、わしっ、わしっ


「くすぐったいです、殿下。やめてください」

「…ただの飾りでもないわけか」

「ええ。人の耳ないですからね」


にゅう、と掛布の中から伸ばされたスコルピオス殿下の腕に、わっしわっしと耳を(というか頭を)撫でくられる。嬉しいような恥ずかしいようなくすぐったいような、感覚。妙に気分がいい。自然と頬がゆるむ。


「…なんだその締まりのないにやけづらは」

「頭を撫でられる犬はこんな気分なのかと」

「どの口が言うか。犬ほど可愛らしくもないくせに…」


ふん、と鼻をならす殿下に苦笑でかえす。眉が寄せられ、赤い瞳が細められるが、長年隣にいた私にはわかる。どうにも機嫌は悪くないらしい。


「耳だけなのか?」

「さあ、まだ他は確認してませんね。慌ててきたので」

「ほほう」


くうぅ、と殿下の赤い唇の端がつり上がる。近年希に見る何事か企んでいる悪い顔だ。
嫌な予感がして後ずさろうとしたところで、がしりと服の裾をわし掴まれた。あ、と思う前にぐいぐいと引っ張られ、べろんと裾を捲られる。


「でかい尻尾だな」

「…殿下、尻尾はいいですが捲らないでください」

「気にするような仲でもあるまい」


まあそうですけれども。いやしかし、やはり服の裾を捲るという行為はなんというか男の夢、男の浪漫といいますか…。
つらつらと頭の中で(面と向かって言おうものなら、絶対零度の視線がぐさりと音をたてて私の胸に突き刺さることは間違いない)述べていると、もっふりとスコルピオス殿下が私の尻尾に抱きついてきた。


「もふもふだ…」

「あの、殿下、引っ張らないでください。痛いのですが」

「…切り取って襟巻きにしてもいいか、ポリュデウケス」

「やめてください」


うっとりと尻尾に頬擦りする殿下に背筋が冷えた。何故か生えてきた本来ならこんなところについている訳がないものではあるが、今は立派な私の一部だ。切り取られてはたまらない。


「吝嗇家め」


不満そうにとがった唇に唇で触れた。赤い瞳が驚いたように見開かれる。


「元に戻るまでは好きにしてよろしいですから、それで満足してください」

「…ふん、いいだろう」


まだ不満そうにして、それでも頷いた。これにて我が尾の一命はとりとめた。…そもそも尻尾に一命もなにもないが。
くあぁ、と殿下があくびをし、寝台の上でうぅんと伸びをした。一瞬、地中海を隔てて南方にある国が原産であるという、【猫】という生き物の三角耳と長くしなやかな尻尾が殿下にくっついているように見えたような気がしたが気のせいだろう。
伸びをしたのに、まだ若干眠そうな顔で殿下は、寝台の上、彼の隣をぽふぽふと叩いた。


ぽふぽふぽふぽふ…


「…なんでしょう」

「いいからのれ」

「…はあ」


ぽふぽふと叩かれて少しばかりくぼんだ場所に腰をおろす。この方は何をしたいのだろうな、とぼんやり思考を巡らせていたら、頭をがしりとわし掴まれて、顔面から殿下の太ももに突撃することとなった。


「あの、殿下?」


彼の太ももは柔らかい。冬の初めの雪のように真っ白で、いい匂いもする。ある意味幸せといえば幸せで、拷問といえば拷問である状況だ。スコルピオス殿下の意図がまったくもってわからない。
困惑して、反射的に頭をあげようとしたが、またしてもわっしわっしと頭を撫でくり始めた手に、体を起こすことをあきらめた。


「ふふん。そうやって犬は、飼い主の言うことを聞いて大人しくしていればよいのだ」

「はあ」

「ふふふ」


頭の上から上機嫌で得意気な声がおちてくる。きっと、少し人の悪そうな、嬉しそうな顔をしているのだろう。容易に想像できて、少し頬がゆるんだ。
可愛らしい人だなあ、なんて考えながら、その顔を見ることができないのは少しばかり残念だ、と思う。今、殿下の顔を見るために私が頭を動かしたら、彼は怒るだろうか。



…きっと怒るだろうな。










END.

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