捧物
□僕らは温度を求めてるんだ。
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手が。
手が手が手が手が。
追いかけてくる、追いすがってくる。
息が上がって足が縺れた。まずいまずい転んじまうよ。
あわてて体勢を立て直す。
捕まれる、掴まれた。
服を、髪を、腕を、足を、首を、顔を、全身を。掴まれた、掴まれた。捕まった、捕獲された。
いやだ、やめろ、はなせなんて言ったような言わなかったような。
ただどうしようもない恐怖に押し潰されそうになった瞬間、目が覚めた。そりゃあもうばっちりと効果音のつきそうなくらい目を見開いて飛び起きた。
顔にかかる髪が冷たい。寝汗で身体中ぐっしょりだ。気持ち悪い。それに眠くてしょうがないがきっと二度と眠れないと思う。
ああもう明日も早いのに。頭ががんがんする。荒い息を無理矢理整えた。そのせいでか、隣の気配に気付けなかった。
「…オリオン?」
「っ!!!」
肝が冷えたなんてもんじゃない。心臓が口から飛び出すかと思った。
ばくばく全力疾走してる心臓がうるさい。落ち着けってば。
「す、スコピー起きてたの?」
いろいろとごまかそうとか、はぐらかそうとか思いながら聞いた。動揺しすぎてて声ががくがくしてる。我ながらひどいね、こりゃ。暗闇で見えないのを良いことにおれは苦笑する。
「…隣でうんうん唸られたら眠れん」
「…それもそうか」
いやまったく納得のいくお返事。彼は意外と、というよりか見た目に反さずというほうがいいのか、神経質だ。前は寝るときに隣に人がいるだけで寝られなくて、目の下にくっきり隈をつくっていた。このごろやっと気にしなくなってきたばかりだと言うのにおれがうんうん言ってる横で寝ろというのは無茶な上に酷な話だ。そもそもおれが隣にいることが無茶な訳だが。
まあいろいろな経緯を経て、おれは今彼の寝台のちょっとばかし空いた隙間にお邪魔させてもらっている。切っ掛けは…確か、おれが押し掛けたのだ、枕を抱えて。寝台が合わないだのなんだのぶーたれて。我ながらむちゃくちゃだと思う。だからきっと彼はもっとむちゃくちゃだと思っただろう。今思うと、俺はスゲーことをした。自分で自分に名誉賞。
実際は、夜中に宮殿中をうろうろと徘徊し、昼間はぼんやり且つほとんど喋らないこの上司が気になって気になって夜も眠れず(さすがにこれは誇張だが、それくらい気になったのは本当だ)どうしようもなく世話焼きなおれがむくむくむくと育ってしまったが故なのだが、我が上司様は当たり前だが知らない。いや、知ったら知ったでこの上司のことだ、要らぬ世話だ大鹿者でとんまな阿呆めと罵詈雑言の限りを尽くして罵り倒した挙げ句、おれの尻をひどく蹴りあげるにちがいない。…よく考えたら、いや、よく考えなくても酷い上司だな。
「…で、」
「はい?」
意識を記憶の遥か彼方あさってのほうに飛ばしていたら、彼がぽつりと言葉を落とした。まさかまだ話が続いていると思っていなかったおれは呆けた声で返事をする。
するとはあ、と闇の向こうから心底呆れたと言わんばかりのため息が聞こえた。…まあその気持ちも分かるけれどもさ。
「…貴様、本当にさっきまでうなされていたのか?正直信じられぬのだが」
全力で馬鹿か間抜けかと言いたいような口ぶりだ。失敬な。おれだって人並みにうなされることくらい…いや、ほとんどないけど。今日のはかなり珍しい。初めてってこたさすがにないけども。あはははは、と自分でも乾いてんなぁと思うような笑い声しかでてこない。
「一応うなされてたよ?」
「……………」
うおーい、“こういう”ときに黙りこまないで下さいまじで。我ながらさっきのセリフは白々しいとは思ったけれども!
真っ暗闇の中沈黙がねっとりと沈んだ。ああ駄目だ頭がいたい。冷や汗がにじむ。あぁあぁもうひどい様だなあおい!
ぐらりと頭が揺れて体が傾ぐ。まずい。これは寝台から転がり落ちる感じだ。そして受け身すらとれずに脳天から固い床にごーん、昇天、はいさいなら、そして冥府ヘヨゥコソ!いやいやいやいや、流石にこの寝台の高さでそれはないだろう。こう、脳天からいって、ずっこーん!あいたー!みたいな感じだろうな。
ここまで考えて、はたと気が付いた。いつまでたっても予想した痛みがこない。ごっちーんなんて火花もとばなけりゃ、ぽーんと意識がとんでったりもしない。むしろ、どちらかと言うと柔らかくて暖かいものに頭から突っ込んでるっていうか頭を抱き抱えられてるっていうかなんかそんな感じだ。
「…あれ?」
「……………」
ぼんやりしたまま疑問の声を発すると、おれを支えている“やわらかいなにか”がぴくりと揺れた。安心するなあ、なんてまた緊張感もなしにおれは“やわらかいなにか”──スコピーを抱き締めた。恐る恐る、といったようにスコピーの細い手がおれの頭を撫でる。きもちいい。いつも日陰にいるくせに、スコピーからは日向のいい匂いがした。鬱気味情緒不安定神経質鬼畜上司にしては珍しいことをしてくれている。
はあ、とため息をついた。身体中から、いい感じに力がぬけてゆく。すごい、絶対眠れないと思っていたがそのまま眠れそうだ。なんてこったい。
「あー…」
「…落ち着いたか」
「うんー。ありがとねー。このままねていいー?」
「…私はこのままか?」
憮然とした声も心地よい。きっと声とは違って困ったようなくすぐったいような顔をして眉を寄せているのだ、この上司は。ぎゅうと腰を抱く腕に力を込めた。
安心してよ、寝かせないなんて言わないからさ。
スコピーの腰を抱き締めたまま、ごろりと寝台に転がった。ぼっふりと波打つ敷布の海のしたからくぐもった声が聞こえた。
「おい、」
「一緒に寝ようよ、スコピー」
「……………」
「いや?」
「…別に」
「ならいいじゃんか。ああそうだ、スコピーのほうからしがみついてきてくれても、」
「調子にのるな」
「あいたたたたたたたた!」
ぐいぐいと前髪を引っ張られる。容赦ない力だ。地味に痛い。むしろものすごく痛い。根こそぎ持っていかれそうである。禿げちゃうからやめてよ!と叫んだら、禿げろ!と返ってきた。ひどい。
でもちょっとスコピーの声が嬉しそうだから、いいんだ!
END.