捧物
□夕焼けは君と恋の色。
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たまの休日。
と言っても特にやることもなく、ただぼんやりと市場の喧騒に身を浸していた。
そんなとき。
ちらり、と赤色が視界を掠めた。はっとして目で追う。その先には、小柄な人影。その人影は、薄汚れているとも称されそうな外套を頭から被っていて、顔はわからない。だが、外套からこぼれる赤に見覚えがあった。その赤色を目指して人混みを泳ぐ。
どうにも不馴れな自分は、ひょいひょいと人混みを縫っていく相手とは雲泥の差がある。しかしなにぶん体格にずいぶん差があり、自分の一歩は相手の三歩ぶんくらいあった。
意外と簡単に追い付き、ぽんと肩を叩く。
「なあ、あん、た…っ!?」
一瞬の浮遊感。ついで背中に走る衝撃。息が詰まる。
「っが…っ!」
咄嗟のことで簡単な受け身すらとれず、砂まみれになるのも構わず地面を転がる。
よし、状況を整理しよう。俺は若干小さめ(正直言うと若干どころでなく小さいが)の人影を目撃、そして知り合いかもしれないと追いかけて肩を叩いたらそのまま胸ぐらをひっ掴まれて十分な受け身もとれないまま地面に勢いよく叩きつけられた、と。
…ひどいな、これ。地面に転がったまましばし遠い目。
ぱたぱたと足音が近づいてくる。俺を投げ飛ばした相手が慌てて駆け寄ってきて俺の顔を覗き込んだ。
「…あ」
「っ!」
さらりと俺の顔にかかる深紅の髪が風に揺れて俺の頬をくすぐる。目の前には、思った通り、スコルピオス殿下の顔。しかし予想外に驚いている。いつもは涼しげに細められている切れ長の目が、これでもかと言わんばかりに見開かれている。ああそんなにしたら目玉がとれるぞ、そう言おうとした矢先。
わっ、と人混みがわいた。
「すっげえなぁ、ねえちゃん!!」
「やるねえ!!」
「おい、にいちゃん!大丈夫かぁーっ!?」
大騒ぎだ。ちらりと隣を見上げる。彼は困ったように眉間にシワを寄せて俺を見下ろしていた。そんな顔されてもね、と苦笑いして立ちあがる。
途端、がっしりと右手を鷲掴みにされた。そしてそのまま、彼は脱兎のごとく駆け出した。
まあつまり、俺はそのまま引きずられるようになるわけで。
「おわあぁああっ!?」
彼と違い少し人より大きめの俺は、人混みに突っ込んだ時点で死にそうだった。俺の無惨な悲鳴が尾を引く。彼は気にせずぐいぐい引っ張ってくる。
追いかけてきたのは人々の笑い声だった。
+++++
人混みからようやっと抜け出た薄暗い路地裏。
ふう、と息をついた小柄な男が外套を頭からおろす。ふわりと風に舞う赤色。珍しく結われていない。
いつも思うが、このスコルピオスという男はどうにも男に見えない。特に後ろ姿なんて女そのものだ。
そんなことをつらつら考えながらぼんやりと眺めていたら、びしりと頭をはたかれた。
「いっ!?」
「ぼさっとしているな、巨人」
「きょ…!?」
「巨人だろうが。…まあそんなことはどうでもいいのだ」
ふ、と彼がため息をつく。
「エレフの従者が、私に何の用だ。そのでかいぶんうすらボケた頭では自分の主人が誰だかすらわからないとでも言うのか?」
愕然として綺麗な赤色を見下ろす。
そうだった。この人は俺の同僚にすごく似ているのだ。物凄く美人の部類に入るのに、何故か物凄く口が悪い。昔語りに出てくる詩人のように美しい(知識のない俺じゃ例えるのも一苦労だ)のに、その整った唇がつむぐのは優しい恋愛物語ではなく、妙に洗練された罵り文句の数々だ。
まったく、いつも疑問に思うのだが、どうしてこうもぽんぽん罵り文句が飛び出てくるのだろう。謎だ。
「いや、今日は非番でしてね」
「…なに?」
「暇で暇でどうしようかと思ってたら貴方を見掛けて声を、」
「お前、今非番で暇だと言ったな」
「え、ええ言いましたけどそれがなに、」
がっしりと胸の前で右腕を掴まれ、ぎゅうぅと力が込められた。
「付き合え」
+++++
「あの、」
「なんだ」
「なんですか、これは」
「一日百個限定、お一人様一個までの今巷で噂の絶品菓子だが」
そんなことも知らんのか、と蔑むような、いや、実際蔑まれているわけだがとにかくそういう目でちろりと一瞥された。
結局あのあと、がっしりと握りしめられた腕はそのままにまたしても彼に引きずられて行ったのは、妙に人だかりができている長い列。そして小一時間二人で並び手に入れたのが、今私と彼の手の中にある小さな菓子だ。
「…このために今日貴方こんなところに一人でいたんですか?」
「そうだが」
「……………」
「…なんだ、その沈黙は」
「いやあ…貴方王族でしょう。こんなの並ばないで持ってこさせればいいのに、と思いましてね」
はあ、と彼が大袈裟なくらいのため息をついた。心底呆れた、という顔だ。
「これだから単純な男は駄目なのだ…いいか、そんな苦もなく手に入れても、いや、もちろんそれでも絶品には違いないがしかしだ、そうして苦労して手に入れてこそ、この菓子の真の味にたどり着ける…そこに本当の至福が待っているのだ」
目がきらきらしてる。始めてみた、こんな顔。
「…そういうもんですかね?」
「そういうものなのだ」
+++++
てくてくと帰り道。もう辺りは橙色に染まっていた。
俺が買い求めた方の菓子もすでに彼が持つ袋の中だ。甘いものは苦手だし別にいいのだが、なんというか…有意義なのかどうなのかよくわからない一日を過ごしてしまった。
はぁ、とこっそりため息をつく。
「おい!さっきのにいちゃん!…とねえちゃんもか!!」
いきなり後ろから威勢のいい声がかけられた。咄嗟に振り向くと朝方あの大騒動のときにすぐそばにいた男である。
その威勢の良さに呆気にとられていると、彼はスコルピオス殿下に果物の入った袋を押し付けた。
「いやー、朝は楽しませてもらったよ!これ持ってってくれ!!」
「は、え?」
「じゃあな!にいちゃんねえちゃん仲良く食べろよ!!」
物凄い速さで駆けていく男の背を見送った。
…なんというか、彗星のような男だった。
「…なんだったんだ、あれは」
スコルピオス殿下が呟く。
「…さあ?」
私も首をかしげた。まったくもって謎だ。
「しかし…あの男私を女だと思っていたのか?」
「まあ、見えますからねえ」
ぽつりと呟かれた彼の言葉に返事を返したら鳩尾を殴られた。
「ぐふっ…!」
さらに腹を抱えてしゃがみこんだところで頭に果物を袋ごと落とされた。以外と痛い。
「ぐおぉ…」
袋と頭と腹をおさえてうずくまる俺の上から微かなため息が聞こえた。
「今日は助かった」
一瞬耳を疑う。
「ありがと、う」
慌てて上げた視線の先、夕焼けに染まりなお赤い貴方の髪と、瞳と、頬。どきりと心臓が高鳴った。
こんな一日も悪くない、なんて。
END.