09/20の日記
19:25
身代わりソナタ
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大王は僕が嫌いなんですか?
頼りない声は、そう言った。
「ま、待ってよ、なんで?俺鬼男くん大好きだけど?むしろ愛しちゃってるけど?」「なんだか痛いので止めて下さい、…あぁ、…あの、何でもないんです。すみませんでした」
その言葉は、柔らかい頬に指を滑らしている最中のことだ。ただ裁きの合間の余暇を愛おしい子と甘く過ごしていただけと思っていた閻魔は、自らに失言でもあったのか、痛い思いをさせる程のことでもしてしまったのか、と慌てて姿勢を正した。
答えてくれ、と言うように沈黙し、逃げられないように見詰めれば、哀れな眷属は応えざるを得ない。
「…、羊って嫌われモノなんでしょう?」
従順な眷属の洩らした声に、頬を撫でながら仔羊のように滑らかだ、と口にしたことを思い出し、世界の頂である男は更なる声を求める。
「羊皮紙って、知っていますか?」
眷属の声音は弱いものだったが、それは尋ねているというよりも確認に近かった。男は頷く。
「羊の皮を鞣して紙にしたものを羊皮紙って言うんですよね?最高級の羊皮紙ともなれば、親羊の胎内から仔羊の躰を引っ張り出して鞣すのだとか、…本当ですか?」
そうだね、羊皮紙ってそういうモノだよ、と口には出さずに見詰めて答える。男は眷属が己の発した言葉を理解しており、今はまだ、それを準えているだけなのだと分かっていた。
「羊皮紙が、羊皮紙が悪いっていうわけじゃないんです。だって、それは人間の文化発展の一部として行われた行為で、今現在も歴史を記した貴重な情報源として役立っているんですから、無駄死になんかじゃないですし、生物の在り方として間違ってはいないはずですから」
でも、と足掻くように、弱きは声を震わせる。男は思いの一つも取り零さなぬよう、じっと耳を傾ける。
「、弱者や犠牲のことも羊って言います」
所詮、彼等は家畜なんでしょうか?
問う瞳はあまりに脆い。
馬鹿なことを言いました、申し訳ありません、と幾何かの沈黙の後、天国の蓮の花弁よりも脆い眷属は頭を垂れた。あまりに邪推で、あまりに杞憂と言う他ない己の思考と発言を恥じるように俯いていたが、男には其れこそが愛おしい眷属の内に住み着く悲哀で穢れで、純粋さなのだと分かっていた。
「鬼男くん」
慰めにはあまりに安く、男の地位からすればあまりに重い、そんな世迷い言にも似た戯れ言を清らかに吐き出す。
「世界の何処かで使われている美しいっていう文字は、大きな羊を表したモノで、実際に大きな羊は権威を持つ者に捧げられたらしいよ」
男は其れが刹那の刻を埋めるにも充たない気休めだと分かっていた。それでも男は其れを口にするしかなかった。
「君は俺の傍じゃ幸せになれない?」
何処までも賢く、脆弱な、愛おしい眷属には、その言葉の羅列の愚かしさが、寸分の狂いもせずに伝わってしまうだろう。それでも男は其れを口にすることしか出来なかった。
「大王が…、僕を捧げられた権威者ですか?」
愛おしい眷属はあまりに賢く、従順で、清らかだ。答えなど初めから決まっていた。
「僕、羊がいいです」
泣きそうな顔で、頂に寵愛される眷属は微笑った。
ごめんね、俺の哀れな羊、
男は思う。
神仏とは厄介な種族だ。愛する者など持てないくせに、愛する者を持つ感覚を保っている。
世界で一番哀れで、愚鈍な種族ではないだろうか、
男は思う。
世界の頂である名も無き男は、側に転がった冠を拾い、軽く叩くと頭上に乗せる。
冠一つで権威を身に付け、男は世界の頂たる種族になるのだ。
「…、じゃぁ、次の死者を」
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