09/22の日記

21:53
※アナタをオモう1
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※他とは関係がない独立した学パロ
 鶺鴒の設定だけ移行
 病み長編









「鬼男が来なくなって、何日経ちましたっけ?」


妹子の声はけして大きくはなかったが、存外室内に響いた。













日常とは酷く脆いモノで、今の次の刻には日常ではなくなることがしばしば見られるものだ。
例えるならば誰かの欠如だったり、偶然の産物による出来事が割り込んだりする為だ。そんな些細な変化に左右される小さな非日常も含めて日常なんだよ、と以前に副生徒会長を努める閻魔が説いたことなどもありはしたが、妹子には同意することが出来なかった。やはり大切な人々が揃って、何の取り留めもないようなことを繰り返す、それが日常だと考えていたし、そうであってほしいと願っていたからだ。

そんな妹子が迎えた今日も、生憎の非日常の続きであった。仲の良い友人の長い長い登校拒否と音信不通がその原因である。何らかの理由から休みが必要になることは、万人に共通して有り得ることで殊更問題にすることでもないのだが、四十度の高熱であろうと委員会の仕事を片付ける為だけに学校へ来たことのある青年が、十日程前に数人に連絡をつけて以来、音信不通が続いているとなれば、心配しない方が無理というものだろう。
心配しているのは僕だけじゃないんでしょう、と言外に含めたのが冒頭の発言だった。実際、いつものように集まった生徒会室も幾らか重苦しく感じる程には非日常なのである。


「よしっ、鬼男の家に行ってみよう」


青いジャージを羽織る生徒会長、太子が妙に明るい声で言った。このような重苦しい状況下では素直な人の方が得だな、と何の気もなく思う妹子だ。


「僕が既に何回か行きましたが、鬼男が応えてくれたのは連絡のあった初日の一回だけで、後は門前払いでしたよ」


アパートの管理人にも訪ねて来る者があっても鍵を渡さないよう頼んでいるみたいですし、と曽良が些か早口で太子の言葉の無意味さを唱える。
鬼男と幼なじみの曽良としては相当歯痒い状況に違いないのだろうが、拒まれている以上しばらくは見守ってやればいい、と既に彼自身の答えを出しているようだ。長年連れ添っている人間の意見に反論する言葉が見つからずにいる妹子に対して、太子はその返答を全く気にしていないように言葉を続けた。


「そういう状況だからこそ鬼男の状態を誰かが把握してやるべきだろう?鬼男がもし一人で考えたいことがあるのなら、という曽良の気遣いもわからないわけではないが、当人が一人がいいと思ってしまうこと程、誰かが一緒に居てやる方が上手くいくこともある」


鬼男に会って、話し合ってみてから決めても遅くないと思うぞ、と珍しく正論が並べられた。数十秒待ち、誰からも異論がないと判断するや、さっそく準備をし始めた太子は、思い出したように更に口を開く。


「芭蕉さん。ほら、準備準備っ」
「え?わ、私っ?」


突然名指しされた生徒会顧問、芭蕉は至極当然な反応をしたのだが、太子の方は何を今更といった表情で返している。


「鬼男大好きな曽良と閻魔じゃ、気を遣い過ぎたり、冷静に話が出来なくなったりするかもしれないだろ?それなら年長者が行くべきじゃないか?」


太子の機転の良さと行動力に、周囲は今更ながら鬼男の音信不通が珍しいことなのだと実感する。的確過ぎる言葉に意見が浮かぶ者等おらず、当然行きたがるであろう二名も渋々といった具合ではあるが口を閉ざしており、芭蕉は慌てて準備をし始めた。
それを確認した太子は唯一、事の展開を見守るだけで微動だにしなかった妹子に視線を向けながら、皆に声を掛ける。


「じゃ、私と芭蕉さんが鬼男の家に行って様子を見てくる。私たちとしては学校に来てほしいが、来る来ないは本人の自由だからな。とりあえず、今、鬼男自身が大丈夫かだけは聞いてくるつもりだ。芭蕉さんは私が鬼男に言い過ぎたり、傷付けたりしないように見張り役をしてくれないか?私は芭蕉さんの見張り役だ。それならみんなも安心だろ?」


妹子は二人の見張り役頼むな、と小声で呟いた太子に妹子は力強く頷く。
誰もが気を揉むこと程、率先して動く損な男に妙な安心感を覚えたのは、おそらく妹子だけではなかっただろう。









「今、とてもお会い出来るような状態じゃないんです」


扉の向こうから聞こえた常にない弱々しい声に怯むが、ここで引いては来た意味がなくなる、と一目でいいと連呼する太子に芭蕉の気後れしたような声が続く光景は、三十分以上平行線であった。鬼男が扉の前の二人に全く対応せず、居留守をしていた時間を合わせると優に二時間を越える攻防戦だ。
しかし、管理人の忠告も聞かず、居るか居ないかもわからない友の為に根気良く戸口から話し掛け続け、引く様子を全く見せない太子たちに負けたのだろう、長々と続いてやり取りを打ち切って、十分程待っていて頂けますか、と鬼男の声がしたのが今し方である。強引に取り付けたとはいえ、取り合った鬼男に太子等は少しばかり安心した。





「…、どうぞ」


待ち始めて十分を少し過ぎたあたりで扉が開き、鬼男が顔を出した。おそらく身だしなみを整えていたのだろう時間の正確さには、元来の鬼男の生真面目さが伺え、幾らか構えていた身体の強張りが抜けた太子等であったが、今し方思っていた人物と久しく向き合ったその瞬間に、数秒前の思考の甘さを知る。

一目で鬼男のやつれ具合は異常を極めるものと悟り、唖然とすることとなった。

健康的な肌の色は変わっていない。しかし、以前は健康的と思えたその肌は褐色が異様なまでに淀んでおり、所謂土気色という体で、とてもではないが健康的とは言い難い。
更に言うならば、鬼男という人物は健康的な肌に見合う、程良い筋肉のついた若々しさや目元の凛とした様、生真面目さ故の落ち着いた物腰からすら溢れ出る溌剌とした雰囲気が魅力的な青年であったはずだが、今はその全てが痛ましいだけであった。元々見られなかった贅肉は全て削げ落ちたに違いない。細過ぎる身体も、来客の為に取り繕われた力無い微笑みも、影を生む程に落ち窪んだ目元に微かに残る眼光も、いっそ幽鬼と呼ぶのが相応しいように思われる雰囲気である。
来客二人は懸けるべき言葉も忘れ、無意識に喉を鳴らし、暫しの間沈黙した。

静まり返った空気を察したのか、察するだけの余裕がないのか、どうぞ、散らかっていますが、と沈黙を破ったのは鬼男である。茫然とする太子等とは対照的な鬼男自身は暫く鏡を見ていないのか、やつれた自身を見慣れてしまったのか、事も無げな態度で部屋の奥へと入っていく。
来客である二人は顔を見合わせ曖昧に頷き合ってから、部屋に上がった。



部屋は落ちかけた夕日で明るいが、不自然なまでに殺風景であった。元来、鬼男は物を詰め込むように溢れさせた空間よりも整然とした空間を好む性質であるが、そのことを差し引いても、この空間は異質でがらんどうであった。
殺風景の部屋の中、カーテンだけがひそりと口を閉ざしたまま、全てを染め上げようとする夕日を無闇に取り入れている。


「もうカーテン閉めたの?少し早くない?秋に問わず眺める夕日も綺麗なものだよ」


俳諧に携わる芭蕉らしい言葉が洩れ、そのままカーテンに手が伸びる。
その言動は常ならば、場を和ませるものだったが、その手は異常に力強くぐい、と引かれて停止した。
腕に爪が食い込む程の力でもって芭蕉を止めたのは、やつれた家主である。鬼男は瞳の奥に異様なぎらつきを宿したまま、壊れかけた玩具のように徐々に力を抜いていき、意味もなく微笑んだ。


「あの、僕、しばらく寝込んでいたせいで直射は、まだ、眩し過ぎるんです」


すみません、と呟くと、ふらふらとした足取りで台所へと向かい、茶の準備をし始める。
黙々と手を動かす虚ろに無表情な鬼男を見た後、太子等は再度無言で見つめ合った。カーテンを開けようとしない鬼男は、何らかの異常があったことを二人に感じさせ、放っておいてはいけないとも思わせた。意見が同じであることを視線で確認し合い、重ねて小さく頷いた。


「あの、本日は何用でいらっしゃったんですか?」


来客二名に茶を出し終えた鬼男は、か細い声で問う。


「最近、学校休んでいるでしょう?休み始めてからちょっと長いから、みんな心配になっちゃったの。だから家まで押し掛けちゃった」
「そうだぞ、みんな鬼男がいないと淋しいんだからな」


芭蕉が曖昧に微笑み、太子が些か茶化してみせると、鬼男は少しだけ以前のような微笑み方をした。


「ご心配おかけしてすみません、体調を崩したようで。なかなかないことですから長引いているようなんです」
「鬼男」


子どもを窘めるように、太子は声こそ張り上げないものの、しっかりとした声音で名を呼んだ。びくりと跳ねた肩に、悪いことをしているような気になり、可哀想だとも思われたが、それが最良の選択だと思うことには変わりがなかった。


「あのね、曽良くんたちに言いにくいなら私か、太子くんでもいいんだよ?」


だから、と芭蕉が後を続ける。それに対し、鬼男はただただ無言を貫いている。誰とも、何とも合わない視線が淡く漂っているだけだ。


「鬼男」


太子の迷いの無い声が響いた。


「話したくないことは話さなきゃいいし、話したくても話せないことはやっぱり話さなきゃいい」


その迷いの無さは極当然の気遣いにも、世界の真理にも聞こえた。


「でもな、話さないまま、閉じ込められた声は、何処に行くと思う?」


赤い紅い、箱の中で、太子の明瞭な声だけがじんわりと揺蕩う。鬼男の喉がひゅっ、と鳴いた。


「せん、輩、…、僕」


掠れた声にうん、と太子は頷いた。鬼男の声はそれきり出ず、麗しい泪が零れ落ち、口元ははくはくと呼吸と声を同時に求めているように震えていた。


「私、戻るね」


二対一じゃ話し辛いでしょう、と鬼男が太子にならば話せそうだと判断した芭蕉が立ち上がった。確かに、と太子は何にも気付いていない素振りで返し、芭蕉もただ頷いた。





鬼男の領域から外れる玄関の境界線を越える刻、ちらりと振り返った芭蕉には、四角い箱が夕闇に呑み込まれていくのが見えた。





















 

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