瞬間的に華開く、綺麗に尽きる篝火が、黒衣の男の足元を、ちらりちらりと舐めていく。



「早くお家にお帰りよ」


男が声を掛ければ、篝火は小さく笑って宙返り。仔狐たちは親元へと帰路を急ぐ。狐火狐火、宙返り。


「夕餉の時刻かねぇ?」
「仕事の時刻ですよ」


ぴしゃりと、男を咎めた青年は、小さく一息、二人の足元を飛び回る鬼火を消した。青年の行動に、次いで男は慌てて地面を鳴らす。男が鳴らした音に呼ばれて、ふらふらと真新しい鬼火が上がる。


「やめてよ、鬼男くんっ。狐火くん達も帰っちゃったし、これだけが頼りなの。俺は暗いの嫌なんだから」
「…アンタそれでも夜行ですか?」
「そ、それでも俺は夜行ですっ」


そう応えた男を青年はじろりと睨み付ける。本当かよ、青年の翡翠に水銀が溶け込んだような瞳にはそんな色が鮮明に浮かんでいる。男は苦笑いを浮かべながら、行こうか、と青年を促した。
男の言葉に軽く舌を打って返事をすると、青年は再び歩み始める。それを確認した男はゆるり、と胸を撫で下ろした。それでも辛辣な態度の青年を見た後では、先程までのように前を歩く勇気もなく、隣を歩くことにした。

この些か辛辣な青年は男の部下であった。鞣し革のように艶やかな光沢のある浅黒い肌に栄える琥珀がかった銀髪からは金色の角が覗き、一目で異形のモノだとわかる。しかし異形の青年は、そんなことを殊更強調するということも、殊更隠蔽するということもなく、軍服にも似た禁欲的な漆黒にすらりとした若々しいその身を包んでいる。彼の呼び名は鬼男と言った。
男はちらと横目に、常と変わらずに凛々しい部下の姿を微笑ましげに見やる。

男の方は先刻から申し上げている通り、鬼男の上司で、呼び名を閻魔と言ったが、何にも代え難い程に自らの体が嫌いであった。愛おしい片割れを眺めるのが男の唯一の趣味だが、その度に美しさへの憧憬と嫉妬が沸き起こり、複雑な気分になるのである。実際に閻魔は鬼男と正反対の容姿をしている。死人のように青白く、骸骨のように痩せ痩けた体に巻き付く漆黒の衣服は豪奢ながら鬼男と殆ど変わらないものだが、肉の削げた閻魔が纏えば全体に漂うのは威厳や凛々しさよりも、脆弱で寄る辺ない虚ろさである。体躯の貧相なことが浮き彫りにされるように思われ、夜道にカツカツと靴裏を舐めさせながら、閻魔は人知れず溜め息を洩らすのだ。


闇夜を行く彼等は、模倣物であった。
 

冥界の主、閻魔大王と、その秘書である獄卒、鬼男の模倣物であった。人形と呼ぶには強大な力を持ち、異形と呼ぶには心許ない彼等の存在は模倣物と呼べば落ち着くような儚いものであった。

彼等のような存在が生まれたのは、あまりに凡庸な理由である。浮き世に蔓延る妖の中には問題を起こすモノもおり、その妖に対して、軽犯罪ならば独断で処理をし報告書を送り、重犯罪の場合には冥界に連絡を入れ、助力を請う為である。つまりは浮き世においての異界の問題を迅速に、的確に処理する機能が必要とされた為であった。


そんな彼等を人々は「夜行」と呼んだ。


国家は冥界からの使者である彼等を恐れ、しかし国家の組織の一部を担う、公の立場としては部下である彼等の夜間徘徊型の仕事から「夜行」と呼んだ。民間人に至っては、彼等は最早都市伝説の代物で、「良い子にしていないと「埜暁」さんが来るよ」と子どもを言い聞かせるのに用いられる、悪事を飲み込む人魂のような妖の一端と考えられ、埜暁信仰なるものまで出来上がっている始末である。

馬鹿馬鹿しい、と鬼男は思う。
自分という存在は、ただ神の命にのみ従い、浮き世にて滅私奉公するモノであるだけなのだ。人間にとやかく言われる覚えはなかった。鬼男の中で彼等自身は、限り無く善悪を超越する存在だった。ただ、神の為だけに存在する自らに名を与えたいのならば、所有者である神が授けて下さるのが最善であると考えていたと同時に、神はけして与えて下さらないとも理解していた。故に鬼男はどうしても要り用の際には、自らを「夜行」と名乗った。
それはけして、国家に頭を差し出したわけでも、驕りでも自尊心でもなかった。「夜行」とは夜を行くこと、もしくは百鬼夜行のことをさす。読みを変えるならば、夜の巡視をすることを表す。自らの存在を表すのに、この言葉以上に適切なものなど思い付かなかっただけだ。
模倣物である彼なりの、ただただ純粋なる事実から生み出された呼び名であったのだ。




「ああ、ねだみき?たしまりまきにみきはしこっひのいかんこ」


今回の目的である古びた社に、閻魔は話し掛けた。社の主に合わせ、妖の話し言葉である逆御言を綴る舌は異常なまでに滑らかで、冥界の主の模倣物である片鱗を窺わせる。


「のなしくたわぜな?んさぬいこのんしいせうゅちとんげんに」
 

社の主は閻魔の御社移動の申し出に大変不満なのだろうが、そんな気色をお首にも出さず「夜行」が人間と忠誠心の狗、等という皮肉さえ添えて柔らかに微笑み、尋ねる。
しかし、そのような皮肉に今更怯む程、夜行二名は弱くはなかった。むしろ、社の主の言葉に言い得て妙だとさえ思った。


「んせまりあがたかし。らかすでのないざんはたしときっれはいうこたっなこおがたなあ」
「…よいえうぼうといせ」


鬼男が御社移動に至ったのは社の主、本人の犯罪による結果なのだと通達すれば、正当防衛だとお高く嘲笑う。人喰い九犯、障害二犯、神隠し一犯の計前科十二犯に、昨今の通り魔を足して全十三犯の全てが正当防衛だと言うのならば、随分な過剰防衛ではなかろうか。


「品の良いお嬢さんかと思ったら、ただのじゃじゃ馬だ。話になんないね。下がってて、鬼男くん」
「御意」


良い子の鬼男くんは、こんな時ばかり律儀だ、とおどけながらも閻魔は社の主と向かい合う。飄々とした態度に似つかわしくない気迫に、夜風は怯えていた。
 

「っかてうもおとるきでうょじうおていむそにみか」


神に逆らわんとする木偶人形に怒りを露わにする社の主を、一切の情も、慈愛もない冷えた視線で捉える。


「往生?いっそ哀れな程に愚かだね、鬼男くん」
「えぇ」


何度似たような脅しを受けたことか、一度だって怯えたことはない。何故わからないのか、そんな脅しなどでは「夜行」を微塵も傷付けられないというのに。

閻魔が翳した腕には、どろどろと黒い焔が這い擦り回り、獲物を狙う蛇のようにゆるり、と頭を持ち上げた。


「俺等みたいな紛い物が死ねるなんて思うなよ、壊されて捨てられるだけさ」


模倣物など所詮は玩具にも満たない泥人形だ。死などというような高尚なことにお目にかかる機会もなかろう。

黒い焔に灼け溶かされた昔気質の妙齢の美女の名残は煤となり、魂まで摩耗したかのように宙へと霧散する。


「行こう、鬼男くん」
「…御意」











カツカツ、カツ
常夜の闇に響く音



今宵も夜行が参ります







































 

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