シャーマンキング
ホロホロ×蓮



晒し中




気付けば望みもしない奴が隣に居て、望みもしない疲労を感じて、望みもしない朝がくる。
だというのにそれは、現実と隔世の狭間で移ろう俺を、どうしようもなく。


いっそ霊体になれたら、などと酷く馬鹿げた事を考えた。
だが現世に肉を持ち縛られることのない霊ならば、この怠惰で鈍い痛みを引きずる重力を感じる事もない。それが今は素直にうらやましい。
こんな事を考えてしまうのも、単に自身がシャーマンという肉を持つ存在である故だ。霊的存在を忘れつつある一般人がこの時ばかりは恋しくもある。自然を淘汰するなどもってのほかではあるが、近すぎるというのも考えものだ。
例えば。

「……坊ちゃま、お身体は大事ないですか?」
「……喧しいぞ馬孫、消えろ」
「は、しかし昨晩は殊の外激しかった御様子、この馬孫坊ちゃまが心配で心配で」
「消えろ、と言うのが聞こえなかったのか?」

ああもう、まったくもって不愉快だ。
短い返事と共に馬孫は慌てて空気に溶ける。
だがアイツの事だ。どうせ近くで気配を消して潜んでいるに違いない。
こちらから感知出来ない分には文句を言うつもりは無いが、その間の事を報告してくるなと何度言っても理解しないとはどういうことだ。嫌がらせか。嫌がらせなのか。
そんなはずあるよしもないが、そうとしか思えない。むしろそう思いたい。この鬱憤を思い切り晴らしてしまう為にも。
……俗に言う八つ当たり、というやつだが。

我ながらあまりにくだらない思考に呆れて、目を閉じた。見慣れた天井はやがて薄れて、感覚だけが冴え冴えと鋭さを増していく。
遠くに聞こえるシャワーの音。
少しザラついたシーツの感覚。
夜明けの冷えた空気の匂い。
情報がゆっくりと体を満たしていく。
この感覚は、嫌いじゃない。物事を考えるにはうってつけだ。
けれど柔らかなスプリングに沈んでいる自分が酷く重い。
情事……というにはあまりに拙い、勢いに任せただけの俺達の行為の後の夜明けは、決まってこうだ。
普段に増して重力は俺の体を引き止める。まるでこの闇からは逃れられないとでも言うように。
それがただの錯覚であることは明白なのだ。倦怠感は普段使わない筋肉の疲労で、この薄闇ももうじきに眩いばかりの光に変わる。理屈は理解している。
だというのに、この胸が寂寥感を抱えるのは、こんなにも空虚なのは。

──霊体になってしまえたら、と思う。
そうすれば体は重力から解放され、この憂鬱に捕らわれることも無い。寂寥感を感じる事もない。そこには馬孫が居るのだから。なんの問題もない。
それでもそれを馬鹿げていると思うのは何故だろう。
実際には不可能だからだろうか。そんな筈はない。霊という存在の肯定ならこの体と経験がいくらでもする。
死が怖いからだろうか。勿論それはあるだろう。けれどそれ以前にもっと、根本的な何かが。
チラチラとノイズが脳内を掠める。たどり着きそうでたどり着かない。もどかしい。
ザラついたシーツ。
夜明けの冷えた空気。
重い体。
もう少し、もう少しで触れられそうなのに。
……そういえば、シャワーの音がしない。

不意に部屋が明るくなる。
眩しさに思わず瞼を開くと、ホ口ホ口だった。下着一枚で首にタオルを掛けて、機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。
俺が見ていることに気付くと更ににこにことアホ面下げて此方へ寄ってきた。何だか無性に腹が立つ。
「アレ、蓮起きてんじゃん。いいのか?寝たいから先にシャワー浴びたんだろ」
「……フン、貴様には関係ないだろう」
何となくイラついたので背を向けた。ホ口ホ口は背後で可愛くないだのなんだのと喚いていたのでことごとく無視をしてやると、更に後ろで何事か言っていた。女々しいヤツめ。
突然与えられた人工の光に、まだ目が慣れない。
だから体が勝手に光に背中を向けようとするのだ。知らず知らずに闇を求めて体を誘う。だからといって特に逆らう気もないが。
ぼんやりと壁を見つめていると、ホ口ホ口が冷蔵庫を開けたのが気配でわかった。大方飲み物でも探して居るのだろう。
そう言えば目が覚めてから何も飲んでいないことに気付いた。人の体とはどこまでも現金なもので、意識した途端に喉が張り付いたように擦れて不快だ。
ついでに何か取れと言おうと体を起こす。
と。
「……ほれ」
目前に現れる牛乳瓶。
「…………」
「風呂上がったのに減ってねえじゃねーか。ちゃんと水分摂れよな」
「……す、ま」
「あんなに喘いだんだし」
ぼんやり立っていたヤツにボディブローを叩き込んでやった。まったくどいつもこいつも一言余計で気に喰わない。慎みを知れ。
部屋の端まで飛んだホ口ホ口はしかしすぐに起き上がる。それしか取り得がないとはいえタフなヤツだ。
「痛ぇよ!人がせっかく心配してやってんのに!」
「喧しい。今のは貴様が悪い。余計な世話だ」
「ちゃっかり牛乳飲みながら言う台詞じゃねーよソレ!」
凄い勢いでホ口ホ口がベッドまで詰め寄って来たが、無視した。今はただ喉を潤す感覚に集中したい。
しかしホ口ホ口は唐突にベッド付近で停止した。しかもじっと此方を見ている。不審だ。何か言いたいことでもあるのだろうか。あるんだろうな、面倒なヤツめ。
仕方ないのであらかた飲み終わった所で牛乳瓶から唇を離して尋ねてやった。
「……何だ」
「いや……なんで裸なのかなと思って」
そんなことか。
「さっきから細かいヤツだな貴様は。そんなこと貴様には関係ないだろう」
そう言うと、ホ口ホ口は少しムッとした。先程までとは違う、真剣な怒りの感情を肌で感じる。だからどうという事もないが、ホ口ホ口が唐突に肩を掴んで来たとなれば話は別だ。
「貴様、何」
「関係なくねーだろ!肩だってこんなに冷えてるし、風邪引くだろうが、ったく!」
ベッドから布団を引き剥がすと、ホ口ホ口は一気に背後から俺を抱え込んだ。ひたりと素肌が触れ合う。それから布団を自分たちに巻き付けると、一層俺を拘束する腕を強くした。
とくとくと心臓の脈打つ音が肌を通して伝わってくる。風呂上がりの熱が、冷えた肌に心地よかった。思いの外広い胸板にそっと背中を預けると、少し硬い薄氷色の髪が首筋に触れてくすぐったかった。
──ああ、そういうことか。
「おい」
「喧しい。今のはお前が悪い。余計な世話だってんだ」
何が余計な世話だ。まだ俺は何もしていない。それは此方の台詞だ。
幾つかの言葉が脳内を過ぎったが、ホ口ホ口が触れた手を強く絡めて離さないので言わなかった。
代わりに目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。
風呂上がりの匂い。呼吸音。熱。肌。
少しずつ少しずつ、満たされていく。満ちていく。

至極簡単な事だ。
体が無ければ出来ない。霊体では、本当の意味でこの男に触れることができない。
眩暈のしそうな激しい熱も、こうして慈しみ与えるような温度さえも、感じられない。
ただそれだけの事。


「ホ口ホ口。電気を切れ。その辺りにリモコンが転がっているだろう」
「あ?藪から棒に、なんでだよ」
「気付かないのか?……もう、朝だ」

気付けば望みもしない奴が隣に居て、望みもしない疲労を感じて、望みもしない朝がくる。
だというのにそれは、現実と隔世の狭間で移ろう俺を、どうしようもなく引き留めて離さない。
それは正しく重力のように。

背後に取られた小さな窓から部屋へと満ちる光が、あまりに容易に想像出来て、今度は眠るために俺はもう一度瞼を閉じた。



END

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