彼女と初めて出会ったのは、ジノが十三歳のとき。



士官学校に入学したばかり、環境の変化にようやく慣れはじめた末息子に、「第三皇女殿下とお友達になりなさい」と、父ヴァインベルグ伯爵はいった。ようするに、魂胆見え見えの縁談話。




第三皇女殿下、といえば、帝国の魔女と呼ばれるあのコーネリア・リ・ブリタニアの溺愛する妹姫。まだ正式に社交界デビューはしていないが、戦場に遠征しがちのコーネリアが本国に残すこの妹を心配し、その話し相手を探しているらしかった。しかし、二人の母である皇妃は、いつまでも身を固めない姉娘を心配して、こうなれば妹であるユーフェミアから縁談をまとめたがっているという。




そのお相手に、どうやらジノは選ばれたらしかった。






(面倒くさいことになったな)







それがジノの素直な気持ち。


皇帝陛下の信任も厚いヴァインベルグ家、皇女は未婚が通例だが、例外がないわけではない。何代か前のヴァインベルグ家当主も、皇帝鐘愛の皇女を妻としているし、しかもユーフェミア皇女殿下とジノとは同い年で、年の釣り合いも取れていた。


けれど、ジノは名門貴族の子息とはいえ、士官学校に通う軍属だった。


学校生活に、訓練、軍務と、ただでさえ忙しい今の生活に、皇女殿下のお守りをする余裕なんてない。しかも皇女だなんて、そんな気位の高い、高慢きちなお姫様の相手は御免だと、そう思っていた。



けれど、父に連れられて訪問したエリーゼ宮外庭。



そこで無邪気に駆け回る少女の姿に、ジノはそれが第三皇女殿下だと認識するまで、しばしの時間を要した。





純白のドレスを翻して、数匹の子犬とじゃれあっている少女。


美しい白い頬を紅潮させて、彼女は声も高らかに無邪気に笑っていた。それはジノが想像していた「高慢ちきなお姫様」ではなく、年相応の無邪気な少女で……侍女が彼女を室内に連れ戻すまで、ジノはその場に立ち竦んだままだった。




(あれが第三皇女殿下!?)




驚き半分、戸惑い半分。


帝国の魔女と名高いコーネリア、その妹であるのだから、ジノは当然のように気位の高い姫君を想像していた。それがまさか野っ原に転がって遊んでいるだなんて、誰に想像できる!


けれど、そのまま案内された離宮には、やはり先程の少女がジノを待ち受けていて。


「お初にお目にかかります。ユーフェミア・リ・ブリタニアですわ」




そうして優雅に一礼した彼女は、皇女の顔をしていた。


腰まで伸ばした薄紅色の髪が、胸のあたりでふわふわ揺れている。袖口やリボンに薔薇をあしらったドレスは、彼女の愛くるしい容貌を引き立て、それは先程庭を駆け回っていたとは思えない、高貴な姫君ぶりだった。



挨拶もそこそこに、彼女の母皇妃は「ヴァインベルグ卿と大切なお話があるから」、と、ジノとユーフェミアを庭へ出した。


二人きりにさせようとする母皇妃の計らいに、ジノは苦笑したが、外庭に出てすぐ、ユーフェミアのほうからごめんなさい、といってきた。






「わたくしの母はね、娘には幸せな結婚をお望みなの」



悪戯っぽいその顔に、ジノはおや、と、思った。親に従順な姫君かと思いきや、その思惑を察する程度の洞察力はあったらしい。



この不自然なお見合いの思惑を、彼女もまた感じ取っていたようだ。ごめんなさい、と、彼女は呟く。



「お母様は、結婚だけが女の幸せだと思い込んでいらっしゃるの。貴方を巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。このお話は、わたくしからちゃんとお断りしますから」



公式ではないとはいえ、皇女との縁談を臣下から断ることは出来ない。そう気遣う彼女を、ジノは好ましく思った。




それから、ジノとユーフェミアとはよい「お友達」としてお付き合いを続けた。軍務の合間を縫って訪ねるジノを、ユーフェミアはいつでも満面の笑みで迎えて、「今日も楽しい話を聞かせてくださいね」と、彼女お気に入りのエリーゼ宮外庭のバルコニーで、お喋りに興じた。


過保護な母親や侍女の前ではいつもお姫様然としている彼女も、庭を駆け回っていたところをジノに見られたと知ってからは、「裸足で野原を走るのはとても気持ちがいいんですよ?」と、無邪気に微笑んでいた。





その関係は、ユーフェミアが女学校に入学した以後も続いたが、いつしかジノは彼女と過ごす時間を心待ちにしている自分に気付いた。



皇女でありながら飾ったところがない、無邪気で、人を疑うことを知らないお姫様。



それと同時に、世間知らずな彼女をどこか馬鹿にする気持ちもあって、「もし、ユーフェミアさまが皇帝になれるならどうしますか」と、ふざけて聞いたことがある。



彼女が返答に困ればいい、という、底意地の悪い意地悪。



我ながら性格が悪い…と、苦笑して、助け舟を寄越そうとしたジノは目を見張った。



困ったように笑うかと思いきや、彼女は心底思い詰めた顔をして、深く考え込んでいた。




わたくしはね、と、彼女はゆっくりその美しい唇を開く。



「わたくしはまだ子供で……お姉様のように軍事のことも、シュナイゼルお兄様のように政治のことも分かりません。でも……誰かに優しくすることは誰にだって出来る筈」




夢みたいなこと、って、貴方は笑うかもしれないけれど。



「わたくしはね、ジノ。それが夢物語だとしても……すべての人に優しくありたいの」







そうして照れたように笑うユーフェミアを、ジノは笑わなかった。




甘ったるい考えの、おバカなお姫様。けれど、恥じ入ることなく理想を語るユーフェミアに、いつしか惹かれている自分がいて。







ただ、気づいたときにはもう遅かった。ユーフェミアにとって、ジノは幼なじみの、よいお友達。


一度、告白したこともある。「ユーフェミア様、この私めを騎士に命じて下さいませんか?」そうひざまずき、冗談めかして。


ジノの女性遍歴の荒さは、ユーフェミアも聞き及んでいた筈で、そうやって茶化してでなければ、とても愛の告白なんて出来なかった。そんなジノに、ユーフェミアは目を丸くして、ただ一言。


「ジノったら。冗談は駄目ですよ」


そう無邪気に笑うだけだった。










…どうせフラれるのなら、冗談めかしたりせず、どうして本気で言わなかったのだろう、と、後悔する自分は滑稽で。








「ユーフェミア様。好きです、愛しています」

「ええ。わたくしも愛していますよ、ジノ」







繰り返す睦言はただ無邪気で、自分たちはいつまでも幼なじみの学友だった。


深入りして傷付くこともないそんなつかず離れずの関係が、ジノには堪らなく心地よくて。


そうして気付けば、二人は十六歳になっていた。








「日本に渡る!?本気ですか!」

「はい。お姉様の総督就任に合わせて来日します」



そう微笑んだユーフェミアの両手には大きな花束。学校の皆さんからお別れにいただいたんです、と微笑む彼女は、年頃の美しい少女に成長していた。







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ジノユフィ

スザユフィとは違う切なさに泣けてきます…。あと少しだけお付き合いお願いします。




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