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□純真無垢な瞳で
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ドスン、という衝撃を感じた瞬間、彼女の足首に、貫くような鋭い痛みが走った。
「………っ…!!」
声にならない声を上げてしまってから、はっと口をつぐむ。
慌てて横を見ると、案の定、ジェシが今にも泣きそうになりながら、心配げに瞳を揺らしていた。
「― おかぁさんっ」
しまった、と心の内で後悔したが、もう遅かった。
―…
小屋の座敷に座って箪笥を作っていたイアルは、唐突に、ぴたりとその手を止めた。
目線を扉のほうに向けながら、じっと耳をすます。
(…泣き声?)
一瞬、またジェシが悪さをしたのか、と考えた。
普段ならこれで苦笑して作業に戻るのだが…、怒っているエリンの声が聞こえてこないことに、妙なひっかかりを覚えた。
声を抑えているのかもしれないが、自分の耳にさえ全く聞こえない、というのは不自然だ。
(―…ジェシの声からすると、そう遠くではないな)
万が一のことも頭の隅に考え、彼はさっと立ち上がり、素早く、衣についている木屑を払った。
イアルは逸る気持ちを抑えながら、深く呼吸をして息を整え、小屋の扉を引き開けて外に出た。
―…
「大丈夫だから、ね、ジェシ」
先程から、何度もエリンはそうして息子をどうにか落ち着かせようとしていた。
ただ、親が木から落ちるのを見てしまったジェシは、余程衝撃が大きかったのか、一向に泣き止む兆しが見えない。
感情も露わに大泣きするジェシの声は、小さくなるどころか、反対に大きくなるばかりだ。
流石のエリンも困り果てた、その時。
「― エリン!」
突然夫の叫ぶ声が聞こえて、驚いたエリンははっと顔を上げた。
珍しく焦ったような表情を浮かべながら、イアルがこちらに駆け寄ってくる。
瞬く間にその姿は大きくなり、気付いた頃には、既に目の前に彼は立っていた。
イアルは僅かに肩で息をしながら、地面に座り込んでいるエリンを見、ついで困惑した色を瞳に宿した。
「どうしたんだ、一体」
言いながら、イアルがふっとかがみ込む。
エリンの制止する声も聞かずに、彼は、エリンが足に乗せていた手を静かに退けた。
暫くエリンの足首を診ていたイアルは、骨は折れていないようだが…、と呟くと、物問い気に視線を上げた。
視線が合うと、エリンの口元に苦笑いが浮かぶ。
「……木から落ちたのよ」
「だろうな」
イアルは呆れたように返すと、エリンが背を預けている一本の木をちらりと見た。
この木から落ちたのだろうということは、問う前から分かっている。
辺りには、怪我の原因と成りうるものは、この木の他にはないのだから。
それよりも、今、問いたいことは。
エリンはそのイアルの疑問を理解していたらしく、イアルが視線を戻すと、目を僅かに伏せながら口を開いた。
「― 木の上に、猫がいるの」
「猫、」
イアルが微かに眉を寄せると、エリンはこくりと頷いた。
それを受けて、木を見上げる。
…確かにエリンのいうとおりであった。
青々と茂った葉に隠れて、一見しただけでは分かりづらいが、よくよく見てみると、少し上の辺りの枝に、毛の塊のようなものが乗っかっているのが見えた。
左側には僅かに耳のようなものが見え、反対側では、長めの尾が時折動いた。
猫は彼の視線を感じたのか、顔を下に向けると、小さく、にゃあと鳴いた。