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□Purple
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「―…っ…」
イアルは、詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
静寂の中に自身の吐息が溶けていくのを感じながら、薄っすらと瞳を開ける。
暗がりの中で、イアルは自身の額に片腕を乗せ、もう一度小さく息を吐いた。
(…寝付けない)
ずきずきと頭が痛む。
寝台に横になった頃から不意に痛み出し、それがずっと続いていた。
それが原因で、不快感が拭えず、寝ることも出来ない。
偏頭痛か、と考えながら、眉根を寄せて暫し天井を見つめる。
闇に紛れている木目をじっと見ていたイアルは、ふと僅かに身をよじった。
途端、イアルは、微かに頬にかかる寝息を感じた。
頭上に向けていた視線を下ろすと、自身のすぐ近くに、エリンの寝顔があった。
穏やかな寝息をたてている彼女を見て、ぼんやりとした既視感を覚えた。
しかし、それを覆いつくすほどの暗く重い感情が心の底からわきあがり、イアルは思わず身を起こした。
小さな衣擦れの音が、暗闇に吸い込まれていく。
眠っているエリンを起こさぬよう気を配りながら、寝台から足を下ろした。
木枠に縁取られた窓から空を見上げると、夜の黒を吸い取ったかのような、暗い灰色に染まった雲が、空を覆いつくしていた。
イアルは僅かに眉を顰め、そのまま寝室を後にした。
水瓶から水をすくい、イアルは碗を口元まで持ち上げた。
冷えた水が喉を伝っていくと、次第に頭がはっきりとしていくようだった。
頭痛が酷くならないように少しずつ水を飲みながら、ぼんやりと、水瓶にたまった透明な水を見つめる。
部屋に満ちる夜の暗闇さえも映した水は今、どこまでも深い、闇色に染まっていた。
イアルは短く息を吐くと、自身の使っていた碗を、隣の流し台で洗った。
軽く水を切ってから碗を置き、静かに体を動かして振り返る。
夜闇に沈んだ部屋の中は、果てしない静寂に包まれていた。
―…
部屋に戻ると、彼は机の傍の椅子をひき、静かに腰掛けた。
机に片腕を乗せて頬杖をつくと、幾らか気分が楽になった。
何気なく、窓の外に視線を流す。
弱い風が出てきたのか、微かに揺れる枝の葉が窓を擦り、小さな音を立てていた。
(―…最近は、こんな気分になることは無かったんだが…)
自身の体を取り巻く感情を思いながら、イアルはため息を漏らした。
先程、エリンの寝顔を見たときに思い浮かべた光景が、再びふと脳裏に蘇る。
毒を盛られ、目の前が霞む中で辿りついた、ラザルの王獣舎。
戸惑いながらも、エリンは必死に治療を施してくれた。
暫く経ち、痛みと共に目覚めると、傍らには疲れきった様子のエリンが寝ていた。
(…痛みがあるから、あの時のことを思い出したのだろうか)
痛みは和らいできているものの、頭痛は未だ完全には収まってはいない。
じくじくとした僅かな痛みを感じながら、イアルは小さく苦笑を漏らした。
ふと、微かな衣擦れの音が、イアルの耳に届いた。
イアルがそちらに目をやるとほぼ同時に、エリンは身をよじり、薄っすらとその目を開けた。
「…すまない、起こしてしまったな」
抑えた声でイアルが言うと、エリンは微かに首を横に動かした。
起きがけで頭がはっきりせず、また、目がまだ暗闇に慣れていないのだろう。
エリンはイアルの声がするほうに、ぼんやりとした視線を投げかけていた。
「――…どう、したの?」
搾り出したような弱い声が聞こえてきた。
「……頭痛がして、眠れなくてな」
「…大丈夫?」
心配げな声色で問うエリンに、イアルは思わず微笑んだ。
「大分、痛みは治まってきたから。…大丈夫だ」
「そう…」
イアルが微笑んでいることを気配で察したのか、今度は、エリンは幾分か安心した声で呟いた。
「……少し、風に当たってくる」
そう言って椅子から立ち上がる。
「気をつけてね」
エリンは顔を僅かに動かして、そう声をかけた。
それに頷き、微かに笑うと、イアルは静かに部屋の戸を開けた。