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□過去の秘め事
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「俺さぁ、《堅き楯》って、遠いところにいるお偉いさん方だとしか、思ってなかったんだよな。

王宮、ましてや真王陛下のお側になんて、一生縁が無いと思ってた」

いつもの開けっぴろげな明るさは、今のカイルには存在しなかった。

ただ、黒々とした虚ろさが、その言葉に滲んでいる。

イアルは思わず目を伏せると、背後の壁に軽く寄りかかった。

着ている衣を通して、硬い木の感触が伝わってくる。

「…『人は生まれる場所を選べない』」

ぽつりとイアルが言うと、カイルが視線を彼に向けた。

「それ、どっかで聞いたことあるな」

「俺も昔、誰かから聞いた。よくは覚えていないけど。

…生まれてから進む運命だって、選べないんだよ。

そもそも、そんなものがあるのかだって、分からない」

「要するに、だ。お前は一体何が言いたいんだ?」

イアルは微かに笑みを零した。

カイルは昔から、どこかせっかちなところがある。

前へ早く進みたいと言っているかのように、話をまとめ上げようとする。

「……さあ、な」

俺にも分からない、と小さく言って、イアルは横を向いた。

ふっと、カイルが苦笑する気配がした。

「お前ってさあ、時々、大人みたいなこと言うよな」

「そうか?」

驚いて眉を上げてから、イアルが答える。

先程より一層暗くなったように思える部屋の中、カイルは面白そうに頷いた。

「ずっとそんなんじゃ、疲れちまうぞ。

もっと、こう、ぶちまけろ、っていうか…」

身振りも交えて話す友に、今度はイアルが苦笑する。

「…俺で助けになることだったら、いくらでも相談にのるから。

あんまり一人で抱え込むなよ?」

そう言って、カイルは突然立ち上がった。

見張り番交代の時間なのだろう。今まで床に放ってあった外套を、カイルが拾い上げて羽織る。

ばさっ、という音が、狭い部屋に軽く響いた。

「…よし。じゃあまた明日、訓練場でな」

「ああ」

カイルは踵を返して、部屋から出て行った。

途端に、部屋はしんとした静寂に包まれる。

ずっと遠くの方で夜烏が鳴く声がし、イアルは一人、静かに目を閉じた。


カイルは、自分の身を案じてくれている。

自分のことより、まず他人を気遣う、カイルはそんな人間だ。

イアルはカイルが眩しかった。

(俺は、…売られた身)

脳裏を掠めた記憶に、彼は顔を歪めた。


数年前の、父親の葬儀の日。

薄暗い部屋の中で、母の白い手が、ゆっくりと大粒金の詰まった袋に伸びる。

家族の為、と幼いながらに感じていた。

それでもあの時、どうしても絶望せずにはいられなかった。

大好きだった母に。今まで積み上げてきたものに。

――… 裏切られた、 と。


一人で佇んでいると、時折ふと、その時の光景が浮かんでくる。

それから逃れる為に、剣をとり、振るい、訓練に打ちこんだ。

何も考えずに教官に突進するのではなく、戦況を考えながら戦うようになるにつれて、イアルは気付いた。

自身には武術の才がある、ということに。

別に自惚れていた訳でもなく、ふと心の中に、それがまるで雫のように、ぽつりと落ちたのだ。

武術の才があるということは、人殺しの才があるということ。

その重すぎる現実を、イアルは不意に悟ってしまったのだった。

自覚してからはもう、この境遇を拒否してあがくことすら出来なくなった。

生きのびる為に、自身のその才を最大限に生かす方法を身につけようと、思うほか無かった。

《堅き楯》に属する以上、障害となる感情を殺し、常に周りの状況に気を配れ。

そう、教官は言った。

人の目があるところ、特に訓練場では、イアルは自分の感情を心の底に押し殺し続けた。

それでも、彼はまだ子供なのだ。

寂しくもなれば、悲しくもなる。

(戻れることなら、)

昔の、あの貧乏だったけれど確かな温もりがあった日々に、戻りたい。

《堅き楯》の訓練生となった頃から、ずっと自身が抱いてきた願望は、しかし、絶対に叶うことは無い。

そのことを、イアルは理解していた。

だから、誓ったのだ。

自分に与えられた《堅き楯》という道を、後ろのことは忘れ去り、歩いていこうと。

それは、まだ幼いイアルが、自分の心を閉ざすために作り上げた、精一杯の《楯》だった。

イアルは、自分の頬を伝ったものに気づいて、慌てて指で目を押さえた。

泣いてはならない。

教官の声が頭の中に響いても、涙は流れ続ける。

イアルは寝台の上の掛け布団に顔を埋め、低く呻いた。

目から溢れる水滴が寝具に染み込んでいくのを感じながら、イアルは身をよじった。

(俺に、帰る場所は無い)

その事実がどっと強く胸に押し寄せてきて、苦しかった。

一人の少年の押し殺した呻き声は、部屋の闇に溶けていった。


―…

商店と商店の合間から僅かに見える、王宮の美しい屋根先から目を離し、イアルは自身を呼ぶ声に振り返った。

道行く人々に紛れて、エリンが小さく辺りを見回すのが見えた。

買い物袋を片手に持ったエリンは、すぐにイアルを見つけて駆け寄ってくる。

「お待たせしてしまって、すみませんでした」

申し訳なさそうに彼女が言う。

小さく目を細めて首を横に振ると、その顔に笑みが浮かんだ。

「帰ろうか」

「はい」

エリンの手から袋を受け取り、馬に乗せて固定すると、イアルは馬の手綱を握った。

ぽつぽつと言葉を交わしながら、二人は王都を後にした。



 過去の秘め事
  (あの頃の涙に代わって、今は笑顔がある)


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