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□祝福の来訪
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控えめに差し出された、微かに湯気のあがる茶を一口嚥下し、カイルはふっと体の力を抜いた。

鍛えているとはいえ、やはり徒歩での山登りは体力を消耗する。


疲れを押し出すように一つ息をつくと、今度は、前に立つ女性に顔を向けた。

小屋の中を見回してみても、この人以外には、小屋には誰も居ないようであった。


「ところでエリンさん、あの朴念仁は今、どこにいるんでしょうか?」

「朴……、ぁ、イアルのことですか?」

「そう、そう」

カイルが肯定すると、エリンの瞳が可笑しそうに細められる。笑いを含んだ声で、彼女は答えた。

「イアルなら、少し散歩に行っています。…でも、そろそろ戻ってくる頃だと思いますよ」

「散歩?」

はい、と言ってエリンが頷く。

それを見てから茶を再び喉に流し込んだ時、ふと、何月か前に会ったイアルの言葉が頭に蘇った。

―… 子供が産まれた。

エリンが妊娠している、ということは聞いていたから、別段驚きはしなかった。

(…しかし、あのイアルが父親、なぁ…)

そんな風に思ったりはしたが。


その時、見計らったかのように、カイルの耳に明るい声が届いた。

カイルが目線をあげると、エリンもそれに気付いたようで、席を立って扉の方へ歩いていった。

笑い声にも似た声は段々と大きくなり、やがて、その声に、扉を叩く音がかぶさった。

静かにエリンが扉を開けると、

「…今日はやけに元気だ。寝付こうともしない」

と、少しばかり疲れたような声が聞こえてきた。

カイルの座っている位置からはその声の主は扉に隠れて見えなかったが、おそらくイアルだろう、と思う。

おかえりなさい、と言うエリンに、先程より僅かに低くなった声でイアルが問う。

「―…誰かいるのか?」

気配を読んだのだろう。カイルは小さく苦笑すると、扉のほうに向かって声をかけた。

「俺だよ、イアル。お邪魔してるぞ」

「…カイル?」

エリンが小屋の中にイアルを促す。

中に入り、椅子に座っているカイルを見たイアルの眉は、怪訝そうに寄せられていた。

「何故ここにいる?」

「この山の下の街で、少し任務があってな。

任務完了時に、短いながらも休暇をいただいたから、寄っていこうかと」

「…、ぁー」

イアルの背中から聞こえてきた小さな声に、カイルはふと言葉をきった。

もしや、と思った直後、その背中から小さな赤ん坊が顔を出す。

言葉にはならない声をあげながら、赤ん坊はカイルを大きな瞳で見つめてくる。

この子が、噂の無愛想男の息子なのだろう。確か名前は―…。

「ジェシ、」

その名を呼んだのは、カイルではなくエリンであった。

彼女はイアルの背からジェシを下ろそうと、手を息子に伸ばしていた。

あー、と嬉しそうに顔を歪めて、ジェシも母の方に小さな手を伸ばす。

ジェシをイアルの背からとると、エリンはその体を優しく抱きなおした。

赤ん坊が腕の中で満面の笑みを浮かべ、母がそれに笑い返し、黙って見ていたイアルもつられたように微笑を浮かべる。

幸せをそのまま形にしたような微笑ましい光景。


カイルは黙ったまま手元の湯飲みを持ち上げる。

何となく居場所が無いような感覚の中、喉を潤す茶が唯一の救いであるような気さえした。

「…あのイアルが、凄まじい変わりようだ」

息とともに呟くと、イアルが再び視線をこちらに向ける。

カイルは小さく笑うと、ふと椅子から立ち上がった。

次いで、イアルの隣に佇むエリンに声をかける。

「あの、その子を抱いてみてもいいですか?」

瞬きをした後、エリンは小さく笑う。いいですよ、と頷いた。

「ありがとうございます」

言いながら、小さな体を彼女から受け取る。

その体は、驚くほどに軽く、赤子特有の乳の匂いと、温もりに包まれていた。

「絶対に落とすなよ」

「そんなとんでもない失態を俺がすると思うか」

曖昧に笑っているところを見ると、その不安が全く無いわけではないのだろう。

失礼な奴だ、と心の中で苦笑する。

それとも、父親になると、子のことを心配せずにはいられないのだろうか。

「安心したよ」

呟きにも似た言葉を、カイルは傍にいるイアルに向ける。

イアルの瞳に、怪訝そうな色が浮かんだ。

「―…今のお前は、光に照らされている」

抽象的なカイルの言葉。

イアルの眉が微かに上がった。それを見るカイルの口角も、僅かに上がる。

暫く間をおいてから、彼は言葉を続けた。

「光を見失うんじゃねえぞ」

深い色をしたイアルの瞳が、わかっている、と頷いたように感じた。

カイルは、にっと友に笑いかけると、振り返ってその妻を見た。

その腕に、努めて優しく、赤ん坊を手渡す。

生後数月程しか経っていない、小さな命。

友の息子に手を伸ばすと、カイルはその頭をくしゃくしゃと撫でた。



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