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□呟いたのは感謝の言葉
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―…ファコの焼ける、香ばしい匂いで目が覚めた。
つい二度寝したくなってしまう気持ちを抑えて、目をこすりながら起きると、部屋に満ちていたのは、柔らかな朝日の光。
衣の上に一枚、薄い上着を羽織って寝室を出れば、机の上には、既に朝食が用意されている。
近頃よく見かける、けれど、未だに慣れないその光景に、エリンは微かに眉を上げた。
「エリン、起きたのか」
イアルが台所のほうから顔を出した。それに反応して、エリンも食卓からそちらへ視線を移す。
「おはよう、イアル。…ごめんなさいね、いつもありがとう」
「何で謝るんだ」
イアルは少しだけ肩を竦めると、とにかく、と彼女に、椅子へ座るよう促した。
「…俺がやりたいからやっているんだ。謝る必要は無い」
曖昧に頷いて、いただきます、と手を合わせる。目覚めたときから、お腹がすいて仕方が無かったのだ。
蜂蜜の塗られたファコを嚥下しながら、ふと、ちらりと目の前のイアルを見やった。
声を掛けようとすると、それより前に、イアルがこちらに顔を向けた。何故か、微かな苦笑を顔に浮かべている。
「すまないな。やはり、どうしてもエリンの腕には敵わない」
料理のことを言っているのだと理解し、慌てて首を横に振る。
「そんなことはないわ。本当に、美味しい」
ありがとう、とエリンが言うと、イアルは小さく笑みを零した。
イアルは朝餉を食べ終えると、手早く食器を片付けていった。
水洗いをしている彼を見て、手伝うと言っても、取り合ってはもらえない。これも、毎日繰り返しているやり取りであった。
暫くして洗い物が済むと、今度は、外套を羽織って小屋を出て行った。
イアルの行く先には、恐らく、三頭の王獣が佇んでいるのだろう。
「…リラン、アル、エク」
溜め息をつきながら窓の傍により、遠くに見える白銀の獣を見つめた。
三頭よりも少し前の方には、そちらへ向かっているイアルの後姿も見えた。
エリンは、無意識のうちに、自身の腹に手を添えた。この子を身篭って、早数ヶ月。その間にエリンは一度、流産しかけている。
…確かにあの時は、胸が凍りつくような思いをしたけれど。
はあ、という小さな溜め息が、思わず漏れてしまった。それに気付いて、慌てて、いけない、と姿勢を正す。
それから、ふと思いついてエリンは振り返り、ゆっくりと気をつけながら、囲炉裏の方へ近づいた。
案の定、パチパチと音をたてて爆ぜる炭の上に乗せられた台には、湯気を上げている湯釜が置かれていた。
「―…熱い、かしら…」
エリンは呟きながら、その取っ手に触れて、次いで慌てて手を引っ込めた。
あまりにも無防備すぎた自分の行動を反省しながら、暫く思案し、ふと、机の上に置かれている手拭いを取って、それから取っ手を持った。
中の茶がこぼれないように気をつけながら、静かに窯を火から下ろす。そっと机の上に置くと、ことん、と音がした。
エリンは息をつきながら、ふっと苦笑する。
(…これだけで、疲れるなんて)
最近本当に、自分の体力が落ちてきたと感じるようになった。それに伴って、どんどん体も重くなっていっている。
―…予定日まで、あと数月。
間違いなく、今、自分は幸せだ。腹の中には命が宿り、夫は、精一杯力を貸してくれている。
(それなのに、)
早く産んで、早く前のように動き回りたいと思ってしまう。
エリンは小さく首を振って思考を遮断すると、湯飲みに釜の中の茶を注いだ。こぽこぽという穏やかな音が、耳に心地よい。
それを持って、先程のように椅子に腰掛けると、ふと、棚にしまってある手紙の事が頭に浮かんだ。
差出人の名はユーヤン。既に数人の子を持つ母となっている彼女は、昔、家のことならあたしに何でも聞いてなぁ、と書いて送ってくれたことがある。
それを思い出して、彼女に書いた手紙の返事が、一昨日の夕餉時に、届けられたのだった。
エリンは茶を一口飲むと、ふぅ、と息をついた。