Project
□過ぎし日の温もり
1ページ/6ページ
「ジェシ、転ぶから、少し待ちなさい!」
慌てた様子で呼びかけながら、数歩先を、エリンがジェシの後を追って走っていく。
遊んでいるのだとでも思っているのか、母とは違い、ジェシのほうは走りながら楽しそうに声をあげている。
そんな母子の姿を眺めながら、エリンの夫であり、ジェシの父であるイアルは、小さく口元を緩めた。
「おいエリン、足元の石に気をつけろよ」
彼特有の、低く落ち着いた声を聞き取ったエリンが、驚きながらも、つまづかないように石を避ける。
そのまま彼女は、目の前にいた息子に近づくと、ぐっと腕を伸ばして、その小さな体を包むように抱きすくめた。
「捕まえたっ」
うわぁ、とジェシがはしゃぐ。エリンは微笑を浮かべながら腕を解き、その代わりに、ジェシの手を握った。
「もう少しゆっくり行こう、ジェシ。折角の散歩なんだから」
「はしったほうが、たのしいよー」
「ゆっくり歩くのも、楽しいわよ?」
口を尖らせるジェシを、エリンが覗き込んだ。が、ジェシは黙ったまま、ぷくっと頬を膨らませる。
エリンが苦笑を浮かべた時、いつの間にか傍らに来ていたイアルが、息子と視線を合わせるように腰をかがめた。
「ジェシ」
父に呼ばれて、ジェシが顔を上げる。目線が合うと、イアルは微かに微笑みかけた。
「ジェシは、動物が好きだろう?」
「うん、」
動物、と聞いたジェシの瞳が、ぱっと輝きを放つ。それを見つめるイアルの笑みが深くなった。
「歩いていたら、動物が見えるかもしれないぞ」
「ほんと!?」
太陽のような明るい笑みが、ジェシの顔に満ちる。今にも飛び上がりそうな喜びを、その顔一杯で表していた。
「…そっか。栗鼠とか兎とか、この辺りはよく見かけるものね」
納得したようにエリンが呟く。二人に笑いかけると、イアルは息子の頭に手を乗せた。
「走っていくか、歩いていくか、どうする?」
「あるく!」
大きく元気な返事。それに頷くと、イアルはジェシの手を握って、歩き始めた。その横を、嬉しそうにジェシが歩く。
反対側の手を握っているため、つられるようにしてエリンも歩き出した。
少し驚いた様子だったエリンは、不意に視線をイアルに向けると、その横顔を見つめながら、僅かに肩を竦めた。
「……本当にあなたは、ジェシを説得するのが上手いわね」
「そうか?」
小さな声で呟いたつもりだったが、イアルには聞こえたらしい。
一瞬戸惑ってから、エリンはイアルに、そうよ、と返した。
それを受けたイアルが、どこか困ったようにしながらも、小さく笑みを零す。
と、その時。
「あっ!」
エリンとイアルに手を引かれていたジェシが、突然声をあげた。
何事かと振り向き、その先にあったジェシの顔を見て、エリンは思わず瞬きをした。
こぼれそうなくらいに大きく見開かれた瞳はきらきらと輝き、ジェシは、満面の笑みを浮かべていた。
「ジェシ?」
首をかしげながら、エリンが名を呼ぶ。反対側のイアルも、振り返ってジェシを見た。
「いま、りす!りすがいま、いた!」
興奮がちな声を聞いて、エリンとイアルは、息子が指差している方に顔を向けた。
なるほど確かに、目をこらすと、少し離れた所に立っている木の、上の枝のほうの木の葉が揺れているように見える。
しかし既に、そこには、ジェシの言う栗鼠の姿は無かった。
「いまね、いたんだよ?ほんとに、りすがっ」
早口で捲くし立てる息子に目線を戻すと、エリンは小さく笑みを浮かべた。
「そうね。きっと、驚いて隠れちゃったんだわ」
それを聞いたジェシが、ええっと残念そうな声をあげる。その次の瞬間には、彼は先程の木に向かって走り出していた。
「え、ちょっと、ジェシ!」
「さがすー!」
焦ったような声が返ってくる。あの林の中から、栗鼠を見つけようというのか。
困ったエリンが傍らを見上げると、丁度イアルもこちらを見た。
「…とりあえず、追いかけよう」
微苦笑を浮かべて言う。エリンは頷くと、駆けていった息子を追って歩き出した。