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□駆け抜ける時の中
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周りに広がる草原が、風に揺られて音をたてる。
ザァァ、という波のような音を聞きながら、エリンは静かに目線を上げた。
馬に乗っているため、ほぼ規則的に、視界が上下に揺れる。
そんな中で先をずっと見つめていたエリンは、突然、ぱっと瞳を輝かせた。
新緑の線から現れたもの――懐かしい、カザルム保護場の門を見て、エリンの顔が無意識に綻ぶ。
僅かに視線を逸らして、近くにいるイアルを見ると、丁度振り返った彼と目が合った。
イアルはエリンの顔を見て、微かに口元を緩めると、黙ったまま小さく頷いた。
それに頷き返したエリンは、目線を前に戻し、手綱を軽く握り締めた。
門に近づくにつれて、懐かしさが一気に胸の底から湧き出した。
―…帰ってきた。
実際は、彼女の今の家は山にある。
そのことを分かっているはずなのに、なぜかその言葉が、自然とエリンの頭に浮かんだ。
エリンとイアルは今、馬に乗って、カザルム保護場に訪れていた。
――…
「久しぶりだねぇ!待ってたよ」
門の扉に作られた小さな窓から顔を出し、寮母のカリサが、笑いながら明るい声をあげた。
昔と全く変わらない、気のいい彼女の笑顔を見つめて、エリンは柔らかく微笑んだ。
「お久しぶりです、カリサさん」
「あ、少し待ってておくれ。
…おーい! ちょいと、そこのあんた!
……そうそう、あんた! 教導師長様を呼んで来てちょうだい! 近くの放牧地にいらっしゃる筈だから」
カリサの張り上げた声が宙に舞うのと同時に、扉の向こうから、男衆の一人だろうか、誰かが駆けていく足音が聞こえてきた。
カリサは暫く、首を伸ばして遠くを見つめていた。
やがて、ふっと素早く振り返り、門越しにエリンに笑いかけた。
「教導師長様、見つかったみたいだからね。 もうすぐ来るだろうよ」
そう言うと、彼女は下へ視線を移す。
門につけられている錠を開けているのだろう、ガチャガチャという、くぐもった金属音が響いた。
「しっかし、何ヶ月ぶりかねぇ。元気だったかい? 山の生活には、もう慣れた?」
「はい。カリサさんもお元気そうで、何よりです」
「あたしゃあ、元気が取り柄だからね。
まぁそもそも、元気が無けりゃ、あの悪童連中の相手は務まらないからさ」
片眉を上げてそう言うカリサの顔を見、エリンは思わず笑みを零した。
「…よし。ほら、扉を開けておくれ!」
カリサが声をあげるのとほぼ同時に、門の扉が音をたてて横に動いた。
扉がほとんど開けられたところで、内側にいたカリサが、驚きの声をあげた。
「あれ、…貴方様は、確か――」
眉を上げているカリサの視線の先には、苦笑を浮かべたイアルが居た。
声をかける時機を掴み損ねていたイアルは、どうカリサに説明すればいいのか、すぐには判断できず、黙って苦笑するしかなかった。
戸惑いながらも、何か言おうとカリサが口を開いた丁度その時、横の方から、しっかりとした女性の声が聞こえてきた。
「―カリサ、エリンが到着したと聞いたけれど」
「ああ、はい、こちらです」
僅かに慌てた様子で、カリサが言葉を返す。
数秒の間をおいて、エリンの前に現れたエサルは、小さく微笑みながら口を開いた。
「…久しぶりね」
お久しぶりです、とエリンが返すのを聞いてから、エサルは彼女の隣へと視線を移した。
「貴方様は、≪堅き楯≫の…?」
「イアルです。…ですが、≪堅き楯≫の誓いは、解きました。今は指物師をしています」
困ったように小さく笑うイアルが言うと、エサルだけでなくカリサも目を見開き、驚きの色を滲ませた。
しかし、エサルは一瞬間をおいて我に返り、次の言葉を紡いだ。
「―…まあ、こんな所ではなんだから、中へ入りましょう」
踵を返した教導師長の後に続いて、エリンとイアルは、カザルム保護場に足を踏み入れた。