ノベル

□ストックホルム症候群A
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高層ビルが立ち並ぶ都心に、広大な緑が敷いてあった。
それは一見市内の公園のようにも見えるのだが、
実際、ある特別な患者だけが収容される病棟が建っている土地である。
佐藤精神療養病棟。それが、その建物の名前だ。
青々とした芝生の上の柔らかい木々は、生活上で患者の緊張感をなくすためであろう。
適度な感覚で木や花壇が広い庭に広がっていた。
今日も青い空が輝き、窓を通った清々しい風が総司の頬を撫でる。
「気分はどうだい?」
「普通です」
「そうか……」
今回主治医となった佐藤院長は、ベッドの上に腰掛ける総司を優しく見つめた。
しかし総司は眼を合わせようともしないで、個室のドアに視線を泳がせる。
「何を見つめてるんだい、総司君」
佐藤の寛仁な言葉に、総司は小さく息を吐き出した。
「早く帰りたいの」
「帰りたいって、山田さんのところかな?」
「……」
半開きになっていたガラス窓に、花瓶に挿していた桃色の百合が映える。
少し冷たいそよ風が小さな顔を掠め、そっと寂しさがこみ上げた。
監禁といえどもこれまでの生活があるわけで、
保護という形でがらりと変わった生活にたった数日間で疲労が滲み出てしまう。
連れ去られたその日から生きていくための頼りは山田だけで、
総司の瞳にはその男しか写っていなかったからだ。
「嫌……」
胸にぽっかり穴が空いたように、ほろりと透明な涙液を滴らす。
「風邪を引くといけないから、もう閉めよう」
そう言うと、佐藤はひらひらと風に舞うレースカーテンを払いながらガラス窓を閉じた。
冷ややかな風は遮断され、肌を通る感覚がなくなった。
後は、ガラス越しに美しい景色を見つめるだけである。
芝生の彼方に、町並みがかすかに見えた。
「院長先生」
数回のノックの音と共に、一人の女性看護士がドアを引く。
「どうしたんだい?」
「警察の方がお見えですが…」
当たり前のことながらそこに座っている少年のことだろうと直感し、立ち上がった。
「分かった、第二応接室にお連れして。…じゃあ、また後でお話しようね」
「…さようなら」
白衣のしわを伸ばす仕草に小さく呟き、総司は風で冷えたシーツに顔を埋めた。
ガラガラ、とドアを引く音を耳で察知しながら、眼を瞑る。
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