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□ストックホルム症候群B
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「違う…私はさらわれてなんかない……」
頑として、総司の口からはこの言葉しか出なかった。
日光に照らされた明るい病室は、都心に立つ精神療養病棟の一室。
「変な話、しないで…」
ベットに腰掛ける総司の言葉を聴きながら、土方は無言で直視していた。
「それが真実なら、どうして泣く必要がある?」
「嘘なんかじゃない……」
「辛かったから泣いてんだろ?何もねえのに涙なんざ出ねえさ」
言葉の代わりに、沈黙が時間を埋める。
微かに洟をすする嗚咽が聞こえ、土方が口唇を開こうとする否や、総司が先に声を発した。
「もう縛られてないの…これが普通の生活だなんて、忘れてた…。
 今は嫌いな食べ物を残しても叩かれなくて……一日中自分の好きなことできるんです」
当たり前のことですよね、と総司はぽろぽろと涙を零しながら笑いかける。
「山田…さんは、捕まったんですよね……?」
「捕まった」
震える声で聞いた質問に、土方は短縮した返答を呟いた。
その言葉を待っていたかのように、総司は大きく吸い込んだ息を吐き出す。
「刑務所から出てきて…またあの家に行って殴られるかと思うと、
 本当のこと言えなかった……だから無意識に口走っちゃって」
「もう心配なんかしなくていい。あいつは捕まったんだ…そう簡単に出てこれるわけねえ」
安堵しきった総司は、それまで溜まっていたのだろう涙を頬に沢山流した。
紅潮した肌は当分水気が途絶えることがないだろう。
「じゃあ話してくれるか…?」
土方はコートのポケットから深い緑色をした手触りのよいハンカチを取り出し、それを総司に渡した。
ハンカチを受け取った総司は、目元にそれを押し付けながらにこっと笑う。
「…はい」
「よし、それじゃあ、さっきの質問だ」
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