ノベル

□ストックホルム症候群D
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日が高く上がった空の下は、いつもと違うように騒がしかった。
カメラを持った人々やマイクを握り締めるインタビュアー達が囲むのは、静かに建つ裁判所の前である。
彼らは忙しなくかつ迅速に、今回の事件と裁判所の中継をしていた。
そんな外の雰囲気とは裏腹の、音も無いような静粛した空間が裁判所内の控え室に存在している。
ワインレッド色のテーブルには洒落た陶器のティーカップが置いてあるが、
その紅い中身は減ることもなく冷え切っていた。
紅茶に映った人物の瞳は、いつまでも遠くを見つめているように感じる。
ただ静まり返った部屋に、言いようの無い不安がじょじょに浸透し始めた。
しかしそれを阻害するかのように、タイミング良くドアをノックする音が室内に響く。
「どうぞ…」
開閉と共に黒いコートが靡いた。
「調子はどうだ、沖田君」
漆黒のコートを羽織った長身は、相変わらず険しい相貌を持ち合わせている。
「まあまあです」
にっこりと余裕の無い笑みを零したのは、十分本人も分かっていた。
容疑者逮捕、そして被害者である総司が保護されてから三週間が過ぎ、ついにここまで来た。
後の裁判で山田にいかなる刑罰が下されようと、
決して監禁によって失われた七年間が戻ってくるわけではない。
しかしそれでも、土方や佐藤のように協力してくれる人々がいる。
その恩を返すように、そして山田に正当な処置を下すため、ここに来たのだ。
「心配しないでください」
唯一の笑顔を向ける相手の土方に、今一度にっこりと笑いかける。
「良好だな。ところで、斉藤検事とはもう打ち合わせしたか?」
「ええ。でも、審判の前にもう一度するみたいです」
斉藤検事とは、今回の事件を担当する斉藤一検事のことだ。
法廷に詳しくない総司には分からないことだが、噂では、かなりのやり手のベテランと聞いたことがある。
土方も心配はいらないとのことだ。
「ということは、もうそろそろだな」
腕時計を覗いた土方の相貌に、険しさがが増す。気がつけば三十分を切っていた。
開廷は三時。分針が刻々と進む度に、緊迫に追われた鼓動が早まる。




(大丈夫…大丈夫……)
緊張しきった身体は、震えるどころか冷や汗さえ浮かせない。
例えるなら白で、その白色をしたペンキで頭の中を塗りつぶしたようだ。
廷吏に導かれながら歩く、控え室から法廷への廊下が永遠に続いているかのような錯覚。
監禁されていたときの絶対的存在である山田からの、
完璧に独立するチャンスでもある裁判は、目と鼻の先で行われる――。
総司は目眩を紛らわし、しっかりと力を入れて床を踏みしめた。
やがて、厳めしく構えた法廷が視野に入る。
「さあ、こちらにお掛け下さい」
「…はい、」
つまずかないように慎重に椅子に歩み寄り、総司は静かに腰を落とした。
後から斉藤検事も位置につき、いかにも慣れたような手つきで資料をめくっている。
「…………、」
視野を動かすと、傍聴席と呼ばれたそこは多くの人が座っていた。
マスコミや親族なのだろうか、総司の知らない人物が多々に存在する。
そういえば、山田から保護されて以来総司は家族と会っていない。
今では記憶の彼方にしか居ない、ぼやけた思い出の両親も姉も面会すらなかった。
忙しいのか、もしかするとあまりに時間が空きすぎて、総司だと気づいていないのか…。
理由は分からないが、自由となった今でも唯一の温もりは未だ傍に居ない。
その時、ざわついてきた法廷内に廷吏の声が響いた。
「起立!」
色々思いわずらっていた総司は、視線を前に戻し、おずおずと立ち上がる。
脳内に浮かんだ家族のことも、再び真っ白に塗りつぶされていった。
遠くで、廷吏や裁判官の声がこだまする。
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