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□溶けないで
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リオーネがそれを知ったのは、偶然。

その日、リオーネは何となく寮の談話室へ足を向けていた。
午後の練習を終え、各々が自由に過ごす時間帯。
特に用事が無いので、暇な時は皆が集まって雑談を交わす談話室の扉を開ける。
足を踏み入れれば、どこからかひやりと肌を撫でる冷気。
それはガゼルが居る事を示していて。
挨拶をしようと探せば、ソファの背凭れから僅かに覗く蒼銀を見つけ、ソファの前へ周って声をかけたのだ。
けれどそれは、ガゼルの表情を見て驚愕の色に変わる。

「ガゼル様――…!?」

ガゼルは、泣いていた。
ただ静かに、白い頬を流れ堕ちる透明な涙。
無表情のまま、蒼の瞳から零れる雫。
何か、神聖なものを見ているような錯覚。
陥るそれに堪らず息を呑む。
時が止まっているかのように、無音が響く。
沈黙を破る術など持っている筈も無い。
けれど痛い程の静寂は壊された。

「リオーネ?」

リオーネに気付いた、ガゼルの声に因って。
はっと正気に戻されたリオーネは、ガゼルの目の前に移動した。
不思議そうに己を見る主に、一言。

「…失礼します」

断り、未だ尚止まらない涙を指で掬う。
酷く優しく、そっと。

「――…!」

最初は何をするのかと思っていたガゼルは、そこで初めて涙の存在に気付いたらしい。

「またか…」
「また?」

頬に触れ、涙に濡れた指先を一瞥。
微かに瞳を細めたガゼルが呟き、リオーネは首を傾げた。
小さな音で繰り返す呼吸。
零れる吐息は白く燻る。
ガゼルが醸す冷気は、リオーネにとって害ではない。
彼の下に就く者ならば全員が慣れているのだ。
けれど涙は凍らない。
それが異常に――…。

「今までにも何回か有った。勝手に涙が流れている事が」

特に悲しくも何ともないのに。
と、告げられた言葉に、仮面の中、リオーネは眉を顰める。

止まらない雫。
それはまるで、少しずつ与えられた小さな傷が重なり、
悲鳴を上げる心に気付かず、
耐え切れなくなるまで抑えて。
空気と触れるに連れ、やがて罅割れるように。
僅かに解けだす氷の涙。

嫌だ――…。
そう、本能の底で。
深く刷り込みのように、感じた。
けれど冷たさの知らない、熱を触れて尚も溶けない氷が一番怖い。
溶けることが恐ろしいのに、矛盾。

「ガゼル様…」
「何、」

手を、触れる。
慣れた動作で跪き、目線を合わして。
冷淡ではない、奇麗ではない、ただ美しい瞳。
だからこそ、本能を魅せるのだ。
恐ろしいまでの、魔性。

「また、次にこうなったら、誰かを呼んで、止まるまで一緒にいて下さい」
「、何故?」
「壊れないが為に。――…お願いします」

ぼんやりと虚ろに、ゆっくりと瞬いて頷いた氷の主。
まだ、雫は止め処ない。



溶けないで
(唯一だから)(無二なのです)
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