士官学校編

□30.彼を愛した人達
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「スティングレイ教官は……」

「死んじゃったよ。」

俯き、ハル・ブラウンは言った。
くせ毛の長い前髪のせいで彼の目元はよく見えなかった。

リザは目を見開いたまま動きを止めた。

「嘘でしょう?」

「僕の事信じられない?」

ハルは言った。
リザは言葉を無くしていた。
だって信じられる筈がなかった。
スティングレイが。
彼が。

「まぁ当然か。」

ハルは言った。
リザは待っていた。
彼が「冗談だよ。」と、質の悪い冗談をわざわざ言いにやってきたのだと。そう言うのを。

「…今朝は奴やたらと機嫌が悪くて、僕の事を連れてかなかった。…兄貴面しやがって。本当に兄貴と同じく僕を置いて行った。」

ハルはもう片方の手に握っていた物をリザに見せた。
二枚式の認識票(ドックタグ)のうちの一枚だった。
一枚は戦死報告用に、もう一枚は遺体に残すのだ。

『ダグラス・スティングレイ』
確かに彼の物だった。きっともう一枚は未だスティングレイの首にさがっているのだろう。
疑い様がなかった。

これは本当の話なのだ。
この男はスティングレイが死んでしまった事を私に知らせる為にやってきたのだ。
リザの頭の中ではぐらぐらと大きな音が鳴り響いていた。

「…嘘でしょう?」

リザはもう一度言った。
自分の声が聞こえなかった。
これは現実なのか。
目の前で起こっている事すら嘘に思えた。

「タグは僕が貰う。兄さんのと一緒にしとくから。」

ハルは上着のポケットからもう一枚のタグを取り出した。

「…あんな奴信じるんじゃなかった。」

二枚の薄い金属のプレートは合わさるとカチャカチャと乾いた音をたてた。
…ハルの声が掠れた。
彼は泣いていた。

「嘘…」

リザの言葉は意味を成さなかった。
空気に染み込んでただ消えた。

一方でハルはリザの中に見え隠れするスティングレイの影を懸命に見つけだそうとしていた。
彼がここに来たのはリザの為でも何でもない。
ハルはスティングレイの話がしたかった。
何でも良かった。
リザなら彼の気配を感じさせてくれると思ったのだ。

「イシュウ゛ァール人に仕組まれた罠だったんだ。本当なら全滅してた。」

…嘘だ。
リザは小さく首を横に振る。
彼はやっと自由に動く腕を手にしたのに。

「…スティングレイと同じ小隊の奴等は何とか皆生きて帰ってきた。…スティングレイが盾になって逃がしてくれたと言ってたよ。」

盾。
リザはスティングレイの大きな背中を思う。
違う。彼は一体何のために…

「…兄さんの名を呼んでいたって。昔からスティングレイを知ってる人が言ってた。」

男は長い前髪を手繰り寄せるせるようにして顔を隠す。
声が泣いていた。

「「逃げろ!」って。馬鹿だよ本当に。今更。…奴は兄さんを助けられなかったのに。」

リザの耳に流れ込む様に入ってくるスティングレイの話。
リザはその場に座り込んだ。
立っていられなかった。
彼は親友を助ける為に…。
彼は後悔していた。
悔いて悔いて………。
…彼は過去に遡れたのだろうか。
親友を助ける事ができたのだろうか。

スティングレイ。
彼はいつも心から笑っていた。
最後に会った時、私達は何の話を?
スティングレイは新しい右腕をとても誇らしげにしていた。
私は無くなってしまった右腕を寂しく思って泣いた。
…そうだ。そして彼は私を高く子供のように抱き上げて、強く抱きしめたのだ。
笑顔で。
彼に関する記憶の中で、彼はいつも屈託無く笑っていた。
死んでしまった?
そんな事、信じられない。彼が?
誰より命の重さを知り、生きる事を大切にしていた彼が?

ハルは涙に濡れた頬をそのままに、初めてリザの目を正面から見据えた。
彼の目はとても素直に透き通っていた。

「ホークアイ。君はこれからどうする?」

ハルは二枚のタグを握り締めてリザに尋ねた。

リザを追い詰めた時、彼は不自然に折れ曲がった様な表情をしていた。彼の心は荒廃しつくされ、行き止まりで立ち尽くし泣いていた。
その彼と今の彼では、まるで別人かと思うくらいに、ハルは静謐としていた。

「僕は兄さん等の意思を継ぐ。僕もまた………戦う。」

『継ぐ。』

死んでしまった者の意図とは別に、その者の意思を継ぐことは、まるで決して外れない重い足枷を付けられるのと同じ事の様だ。
足枷。それがあるからこそ人は、ふらりと何処か知らぬ場所へ一人さ迷い消えてしまう事無く済む。暗闇の中でも自分を確立するとこができる。

しかしそれが重くなりすぎては一歩も身動きが取れなくなってしまう。
リザはその重みを知っていた。

「私は…」

戦場で、遠くに見える焔を見た。
…父はこれを望んだだろうか。

私はあの人に会わなければならない。

「私は戦う。引き金を引く。」

リザは言った。

ハルは頷いた。

…風が強く吹いていた。
イシュウ゛ァールの夜は冷たかった。
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