T

□Oath upon a Star
2ページ/2ページ



砂混じりの冷たい風が僕とラビの間を吹き抜ける。ぶるりと身体を震わせるとラビがそっと肩を抱いてくれた。引き寄せられるまま凭れかかる。

(ラビが追ってきてくれなかったら…)

本当に一人ぼっちになっていた。辺りに生えていた丈の短い草を集めてどうにか火を起こしてくれたのもラビだった。

こんな暗闇に一人だったら――。

そう考えると怖くて涙が出そうになる。何もない暗闇は記憶の中からよくないものを呼び覚まし恐怖を掻き立てる。それと同時に、こんな状況に道連れにしてしまった罪悪感で胸が潰れそうだ。

「ごめんなさい…ラビ」

もう何度目かも分からないこの言葉を繰り返す。ラビは優しい。人が本当に傷ついている時は無理に励まそうとしないのだ。こうして、ただ静かに傍にいてくれる。

「気にすんなって言ってんだろ?」

にかっと微笑まれてその笑顔に僕もつられて少しだけ笑う。肩に伝わる温かさに心が宥められる。

言わなければ、ラビはきっと、待ってくれている。

「ラビ…」
「ん…?」

優しい翡翠が促すように細められた。

「砂の中に逃げるアクマの姿が…マテールで会ったアクマと重なって……」

ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

先日神田と共に訪れた、神に見離された地・マテール。
そこでララというイノセンスの心臓を持つ人形に出会ったこと。彼女を愛したグゾルのこと。守れなかった命。そして、聞き届けた美しくも悲しい最期の子守唄。

落ち着いて話そうと思うのに話せば話すほどあの時に感じた様々な感情が思い出されて、入り混じり、声が上擦った。それでもラビは、ただ静かに聞いてくれる。

二人がアクマの爪に貫かれたあの時、僕の中にあったのは確かに怒りだった。アクマに向けたのは殺意。『救いたい』という気持ちは微塵もなく、ただひたすらアクマのしたことが許せなかった。

共にありたいと願っていた二人を守りたかった。守れなかった。二人は特別なことなんて、何一つ望んでいないじゃないか。ただ最期の時まで、愛する人の側にいたいと願っただけ。けれどそれが、己の生まれ持った運命によって阻まれる。

蘇るアクマの下卑た笑い、耳障りな声。舞い上がる砂塵に、あの時の全てが呼び覚まされた。


僕ガ破壊シナイト。


突き動かされるまま走り出した。守れなかった二人の影を追うように
。ただ怖かった。あのアクマを逃してしまうことが。目の前で再び、同じ過ちが、同じ苦しみが、繰り返されてしまいそうな気がして。ラビに止められるまで我を忘れて追いかけた。

「バカモヤシ!!」
「へえっ!?痛っ…!」

突然ラビから頭突きを食らってその痛みに目を見開く。ユウならこう言ってたさーと笑われて呆気に取られる。人が真面目な話をしてるっていうのに。

「ラビっ!」
「何か理由があるのは分かってたさ」

じゃなきゃアレンがあんな行動するはずない、静かに響くラビの声。急に冴え渡った雰囲気に飲み込まれる。

「アレンの気持ちは分かったさ。でも、今回のはちっと行き過ぎさ」
「っ……」
「アクマは確実にオレたちを待ち伏せていた。遺跡にイノセンスがある可能性も高い」

返す言葉もなかった。

「オレ達はまだいい。別れたファインダーの方が心配さ。逃げたアクマに襲われない保証はない」

息を呑む。その通りだ。あのアクマ以外にも他にも潜伏しているアクマがいないとも限らない。
ファインダーはアクマを倒す力を持ってはいないのだ。何がなんでも彼らから離れるべきではなかった。

「あっ……らび…っ」
「ストップ。今から探しに行こうなんて言い出したらさすがのオレも本気でキレるさ」

ハッとラビから離れたところで手首を掴まれ引き寄せられる。ぐいっと顔を近付けられ今まで見たこともないような鋭い眼差しに射抜かれて咄嗟に俯き目を逸らした。

分かってる。今から探しに行くことなんて到底できない。僕はまた、何を考えているんだ。

「大丈夫さ。ああは言ったけど、あいつらなら結界装置だって持ってる。今は無事街に戻れたことを祈ろう」
「はい…」

僕はまだ戦場で戦うことに慣れていないのだと思い知らされる。感情に動かされるままじゃいけないんだ。

自分の取った行動が情けなくて、膝を抱えて顔を埋める。ここでなら泣いてもバレないだろうか。でもきっとラビは気づいてしまうのだろうと苦笑した。

どうすれば感情に流されずに済むのだろう。もっと、強くならなければ。

「アーレン」
「ん……?」
「そんな可愛い顔して涙目で見上げられたら罪悪感で死にたくなるさオレ…」

カッコいいお兄さんのありがたーいお説教はここまで、と言われて僕も力なく笑みを返した。クイクイと上を指すラビの指に首を傾げて、それでもラビの笑顔に押されて顔を上げる。

「わっ……」

目に飛び込んできたのは空を埋め尽くすような星の大群。数え切れないほどの星々が大小それぞれの輝きを放ち、藍色の空を世界の果てまで照らしていた。

夜になってからというもの俯いてばかりいたから気づかなかった。頭上にはこんな世界が広がっていたのかと息を呑む。

「きれい…」
「アレンの銀の瞳も負けてねェさ」
「僕……?」
「星が映り込んで、小さな銀河みたい」
「…ッこっち見ないでください!」

ヘラヘラとからかうように笑うラビに悔しくてそっぽを向く。僕らが吐く息はまだ白いまま。けれど今だけは不思議と寒いとは感じなかった。澄んだ空気が肺を満たして心地よいと思える程に。
きっと一人だったらそうは思えなかった。この星空にも気付けなかった。全て、触れ合う肩が温かいから。

「アレン、あの星見える?」
「どれですか?」
「あれあれ」
「そんな指されたって分かりませんよ…!」

ほらあそこ!と言われて思い切り肩を引き寄せられ近づく顔。ああもう、ラビの言動はいちいち僕の心臓に悪い。顔が赤くなっていないことを願うばかりだ。

「あーれっ」
「あ、分かったかも…」
「まじ?そしたらその星とあっちの星を繋げて」

ラビの指が空に絵を描くようにすっと動かされる。

「星座…?」
「そ!アンドロメダっていうかわいーお姫様の星座さ。で、あっちがペルセウスとペガサス」

ただ見上げていただけの夜空にいくつもの形が見えてくる。さすがに名前は聞いたことがあるものの、こうして星として見るのは初めてだった。

「昔々あるところにお姫様がいたんさ。アンドロメダっていう神より美しいとされたお姫様がな。国王である父とその妃である母と何不自由なく暮らしてたんさ」

でもある時、国の沿岸沿いに巨大な化けクジラが現れ、そいつが起こす津波により多くの人々は死に絶え、作物もまた甚大な影響を受けたのだという。神の御告げによると、化けクジラの怒りを収める為にはアンドロメダを生け贄として差し出さなければいけない。国を守るため、両親は泣く泣く娘を海岸へと残した。

化けクジラの真っ赤な口がアンドロメダを飲み込もうとした時、空からペガサスに跨がった勇者ペルセウスが現れた。彼は化けクジラを見事倒し、アンドロメダ姫を救い出した。その後二人は結婚し、幸せに暮らした。

「…よかった、ですね」

遠い夜空を見上げながら淡々と話すラビの横顔を見つめて、ぽつりと呟いた。救われた人が一人でも多いのなら、それは喜ばしいことだ。
人の死はその人だけに収まらない。その人と関わりのあった者にまで悲しみを与える。その関わりが深いほど、また悲しみも深い。

「っていうのは表向きの話さ」
「えっ!?アンドロメダは…?」
「救われたさ。勿論、ペルセウスの手によってな。でもペルセウスはアンドロメダを助けるより先に国王に会いに行ってたんさ」


『娘を助けたら、俺と結婚させやがれ』


「そう約束を取り付けた後、アンドロメダの所に戻って間一髪で助けたんさ」
「………」
「ちなみにその後もめっさひでーの。可愛い娘をどこの馬の骨とも知れないペルセウスと結婚させたくなかった国王は偽装やら何やらして式を妨害するし、それに腹を立てたペルセウスは国王の部下殺しまくるしでもう大変」

あははと笑うラビ。黙り込む僕。いい話だと思っていたのにいきなりドス黒い裏事情を聞かされて言葉がない。

「アンドロメダの気持ちは…」
「さあな。真実を知っていたのか、それでもペルセウスを愛していたのか。オレらには見当もつかないさ」

どんな形であれ本人が望んでいたのならそれでいいと思う。ペルセウスが正義感から自分を救った勇気ある青年ではないことも、父の部下を殺すような人間であることも、何もかと知った上でそれでも彼女が選んだというなら、それでいいと思う。けれど何も知らないまま、ただ目の前の大きな流れに身を任せる他なく彼女の運命が決まっていったというなら、それは悲しいことだと思った。

「アレン…」
「…?」

視線を落としたラビが静かに僕の名を呼んだ。炎に照らされた横顔は、どこか悲しげに見えた。

「ブックマンになるオレが、こんなこと言うのはどうかと思うけどさ」
「ラビ…?」
「上手く言えねェけど、けどきっと、夜空に輝く星たちが人間らしいように、戦場で戦う兵士であるオレらも、人間らしくていいんさ」

揺らめく炎を映した翡翠の目を、息をするのも忘れて見つめた。

「自分の中には確かに感情があって、何かを求めて生きてる。それを兵士としての行動と完全に割り切ることなんてできねェし、きっとそれは、弱さでも無いんさ」

これはアレンから学んだこと。今回のアレンの行動は褒められたもんじゃねェけど、それでもアレンを見て感情が人を強くすることをオレは知ったんさ、とラビは炎を見つめたまま小さく笑った。

「けどオレらは、兵士と人間の狭間で戦っていかなきゃなんねェ。感情が自分を苦しめる時も沢山あるんさ」

誰かを愛する感情があって、その人を守りたいと思うから戦える。けれど戦いの中で感情などなければどんなに楽だろうと思う日が、きっと僕にもこれから数え切れないくらい来るのだろう。

「でもアレンは、アンドロメダの気持ちはって言ったよな」

ラビの言葉に息を飲んで小さく頷く。

「オレも、それが大切だと思うんさ。自分の気持ち」

真実を知って尚、自分は何を選ぶのか。

「例えどんなことがあっても、それが自分の決めた道ならきっと進んでいける」

ラビの気持ちが嬉しくて、止まっていた涙がまた溢れ出した。全部、この言葉を僕に伝えるために、話してくれたことだったんだ。ラビの不器用な優しさに胸が一杯になる。けれど同時に一度も僕の目を見ないラビに少し、悲しかった。

ラビは兵士が感情を持っていてもいいと、それは弱さではないと言ってくれた。例えそれが自身を苦しめることになっても、それがアレンの決めた道なら進んでいけると言ってくれた。けれどラビ自身は兵士であると同時にブックマン後継者なのだ。オレは違う、オレはそうではいられない、とでも言うような遠くを見つめる悲しげな瞳に、途端にラビの存在が遠いものの様に感じられて、嬉しさ以外の涙も同時に溢れ出す。

「何泣いてんさ、アレン…」

やっと僕を見てくれたラビが仕方がないとでも言うように優しく笑って、伸ばした手で僕の涙を拭ってくれる。嬉しさ、寂しさ、愛おしさ、不安。全ての感情が一つになって、胸から溢れた分だけ涙になって零れ落ちた。乾いた大地に落ちてはシミを作る。

「ごめん……落ち込んでるアレンを元気付けたかったんだけど、逆に泣かせちまったな」
「っ……」

震える唇ではどんな言葉も音にできそうになくてただ首を振った。抱き締めてくれるラビの力強さがこんなにも愛おしい。縋り付くように僕もラビの背に腕を伸ばした。

「ラビっ……ラビ……っ」
「オレ、アレンに泣かれるの苦手なんさ…どうすれば泣き止んでくれる?」

もう十分すぎるくらいに貰ってる。これ以上ラビを困らせたくないのに、素直に笑ってあげられたらいいのに、涙は止まらない。
あんな悲しい目をしないで。遠くに行かないで。僕が間違った時は怒って欲しい。僕が泣いた時は抱き締めて欲しい。思いは後から膨れ上がって、けれど言葉にできるほど子供でもなかった。

「っぅ……」
「アレン?」
「じゃっ……あっ…、僕の涙にキスしてください」

震える声で言ったのは僕の精一杯。

近づいてくる顔に促されるように静かに目を閉じると瞼の下に優しいキスが落とされた。

「アレン…それ他の男にはゼッテー言うんじゃねェさ」
「…?」
「可愛い顔したって許しません。あ〜も〜これで無意識なんだからほんとたち悪いさ!…離せなくなる」

なんだか意味は分からないけどとても失礼なことを言われているような気がして少し眉根を寄せるとラビがあやすように頬を撫でてくる。

「ん……そんな約束、していいんですか」

僕が言わない代わりに、ラビは僕が泣いた時、側にいてくれるんですか。素直には言えずに聞き返すとラビは僕の心を読んだように小さく笑った。

「アレンは泣き虫だからな」
「なっ…」
「全部とはいかねーかもしんねェけど、オレは泣いてるアレンを放って置けない。アレンに泣かれるとオレ、どうしたらいいか分からなくなるんさ」

優しい翡翠の目を細めて笑うラビに、もう先程までの翳りはなかった。

「ら、び……?」
「…約束する。アレンが泣いてたらオレが止めに行くさ」

満天の星空を背景に、世界で誰よりも貴方が愛しいと確信した。

「だいっ…好き……っ」

ありがとうと伝えたかったはずなのに、胸から溢れた言葉は違っていた。僕を追ってきてくれたこと。話を聞いてくれたこと。ちゃんと叱ってくれたこと。触れてはいけない言葉を繋いでまで、僕を慰めてくれたこと。全てが息もできないくらいに、胸を一杯にさせた。

僕もと誓う代わりに頬に触れようとしたキスは不意に唇を塞がれ奪われる。静かに目を閉じると最後の星粒が瞳から溢れた。

夜空になんて行かないで。ずっと側にいて。こんなにも愛おしい。


僕の銀河を護るペルセウス。



fin. 20110506
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ