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□例えばそんな始まり *
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なんで、どうして。
「っ……」
こんなことになったのか。
オレのちっぽけな頭には、到底理解できそうになかった。
だって深い意味なんて無いって、ハンジさんも言ってたじゃないか。
ドクドクと、鼓膜にまで響くような心臓の音がうるさかった。
ぎゅ、と握ってみても一向に治まる気配はない。
『ッ………』
ぴきりと全身の筋肉が引き吊るような感覚にやっと背後の気配に気が付いた。
またか。
そう思うだけで振り返ることも取り繕った笑みを浮かべることもできなくなった。
『ミ、ミケ分隊長……』
スン、と首筋に掛かる温かな息が気味悪かった。
何で、なんなんだよ。
喉のすぐそこまでそんな言葉が出かかってるのに音にはならない。
ただ気持ち悪くて怖かった。
そんなオレのことなんて露ほども興味ない様子でただ鼻だけを動かす。
『っ………』
嫌だ、嫌だ、嫌だ、
どうしてこんな。
気が付いた時には立場も何もかも全て忘れてその肩を突き飛ばしがむしゃらに走り出していた。
もう耐えられない。
身を守るように膝を抱く。
こうしているのが一番落ち着く。凭れ掛かったドアの向こう側からは特に気配はしなかった。追ってくる気はないらしい。
「………」
すぅ、と息を吸うと随分と長く使われていない古城の、それも地下だというのに冷たくて澄んだ空気が肺を満たした。
「……」
自分は関係ないはずなのに兵長がこの地下まで何度も点検してオレに掃除をやり直させたのが懐かしい。
ガリ、とうなじを引っ掻いた。
少しだけ心が安らぐ気がした。
「ハァっ……ハァっ……はぁッ……ハァ……!」
真っ昼間から一人このだだっ広い古城の中で訓練さながらの走り込み。
最近になって一つ覚えたことがあるんだ。
会わなければいいんだって。
言うのは簡単だしきっとできることなら最初からそうしてる。
あの無いに等しい気配を察知することなんてできるわけなかったし、あの人は匂いでオレを見つけてくるから逃げようがなかった。
ただ今日は馬の嘶きが聞こえたんだ。それも数頭。慌てて窓から覗くと案の定、井戸のすぐそばの厩舎に馬を繋ぐ人影が見えて。
(ハンジさんと……ミケ分隊長っ……)
すぐに地下に駆け込もうかとも思った。でも今から降りて行って扉の前で出会してしまったらそれこそ最悪だ。
迷っている間に声が近付いてきて、急いで階段から離れた。
(どこでもいいッ……)
隠れられる場所なら――。
「ッ……!」
ただ自分が逃げているだけなのに追われているかのような焦燥感に駆られた。
廊下の突き当たり、曲がってすぐの扉に転がり込むようにして逃げ込んだ。
「っ……」
片膝を付いて外の気配を窺う。どんどんいくつもの足音は近付いてきているようだった。
確か、いつも会議で使われてる部屋は同じ階だ。
どうしてあの時もっと上の階に逃げなかったんだろう。それでもどのみち足音で気づかれていたのだろうか。
ただ今はオレに気づかずに会議室に向かってほしかった。その間に地下に逃げることだってできるし、もっと別の場所を――。
「……オイ」
「ぅわっ……!?」
突然背後から掛けられた声に心臓が飛び出そうになる。驚きのあまりバランスを保てずそのまま尻餅をついてしまった。
「痛っ……!」
「こんなとこに何の用だ」
「リ、リヴァイ兵長……!?え、あっ、」
どうして兵長が。基本日中は城内なら自由にしていいよう言われているがそんな目で睨まれたら何かいけないことでもしているような気になって。
「ちょ、ちょっとトイレに……」
「ほう……」
書類を手にしたまま兵長が足を組み替える。
「お前は俺の部屋をトイレだと言いたいのか」
「……!!?」
そりゃそうだろ。兵長がいるんだからここは兵長の部屋に決まってる。正しくは兵長の執務室なのだが。
「あっ、いえ……」
「いつまでそんな無様な格好を晒している気だ」
「はいっ!」
慌てて立ち上がって居住まいを正す。どうしよう、どうしよう、ミカサならこんな時どうする。アルミンならなんて言う。
あいつらならまずこんな、巨人になって普段なら人も寄り付かない古城に幽閉されることもないし人類最強の部屋をトイレ呼ばわりすることもないだろうと思い至ってますます死にたくなった。
「じ、自分はっ……」
「……」
「あ、えっと…、その……」
ミケ分隊長に会うのが嫌で逃げてきたなんて到底言えるわけなかった。
だからってもっともらしい理由も思いつかない。
「っ……」
ハァ、と無遠慮に落とされたため息に肩が跳ねる。取りあえず謝らなくては。
「………」
「あっ、の……」
兵長が上着といくつかの書類だけを手にして近付いてきた。
コン、コン、と気だるげに立てられる足音に身を縮こませる。
殴られる、もしくは蹴られる。咄嗟にそう思った。
「ふうっ……!あ、え……?」
てっきり掲げられた書類で頭を引っ叩かれると思っていた。それなのにいつまで経っても衝撃は来なくて。
その代わりドン、と胸にその紙の束を押し付けられた。
「あの!へいちょ…?」
「こいつ捨てとけ」
それだけ言って兵長はとっとと部屋を出て行こうとしてしまう。
「えっ…!?あの、ちょっとっ……」
「……」
じっとりと鋭い眼光がオレを射抜いた。
「……エレンよ、お前は暇なのか」
「え、」
「暇だよなぁ?今から会議に出なきゃならん俺と違ってな」
「ひ、暇です……!」
「だったらこの部屋の掃除でもしてろ、手を抜いたら削ぐぞ」
「っ……!?」
バタン、と閉まるドア。今度こそ兵長は出ていってしまった。
「……」
思わぬ展開に頭は放心状態だった。
ノックもなしに入った上にあんな、絶対殴られると思ったのに何のお咎めもなしとは。
取りあえず渡された書類をふらふらと歩いていってゴミ箱に落とした。
兵長とは最初が最初だったから、どうも緊張してしまってまともに話せたことの方が少ない気がする。今だって。
「……」
でもやることができた、居場所だって。
今回ばかりは理不尽な兵長の横暴も嬉しかった。
兵長が納得する域まで掃除するには並大抵の時間と労力じゃ終わらないことはここに来た時に思い知っている。
夕方まで掛かるだろうか。そしたらあの人も帰るんじゃないか。
掃除の基本その一。
掃除は上から。
「……〜〜っ」
兵長から教わった心得を思い出しつつ見つけたはたきを手に取るとずきりと後頭部が痛んだ。
『あ、上はオレがやります!!』
兵長の持ったはたきが本棚の上に届きそうにもなかったからそう言っただけなのに、なんであの時叩かれたんだろう。
やっぱり兵長は理不尽だ。