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□neighborly love
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全寮制の高校を卒業を機に放浪癖の父親のせいでほぼ空き家と化していた家を売り払って僕は大学に程近いアパートに引っ越した。
僕よりよっぽど年上の古びた物件だったけど日当たりのいい角部屋。値段もお手頃で商店街も近く学生の僕にはぴったりだった。

そして、そして、先週末――。


ずっと空き家だった隣部屋に、待ちに待ったお隣さんができました。





「……なーんて」

これから始まるご近所付き合いに心踊らせていた僕のバカ。そりゃ期待してたさ。どうしようもない義父のせいで今までご近所に疎まれることはあれど仲良くしてもらったことは一度もない。

隣部屋に人の気配。もしや!と次の日管理人さんに聞きに行くと新しい居住者が見つかったらしい。

日本では引っ越しをしたらまず近隣の人にご挨拶をするのが礼儀らしい。僕は当初それを知らず、今さら行くにも気が引けて、実のところこれから始まるご近所付き合いに随分と気合いを入れていたからひどく落ち込んだものだ。

挨拶に来てくれたらなんと返そうか。いい人ならいいな。仲良くしてくれるかな。手土産がみたらし団子だったら親友になれる気がするとソワソワしてた数日間。

『……来ない』

待てど暮せど一向に。

「はぁ…」

僕のように知らないのだろうか。それならまだいい。そもそも仲良くする気がなかったら悲しいな。

古びたアパートの階段をカンカンと踏み鳴らしながらスーパーで買った今日の夕飯を引っ提げて自室に向かう。

そもそも一度も隣人を見たことがないのだ。時折薄い壁越しに気配は感じるもののその顔は見たことがない。もう一週間は経つというのに。

「はぁ、」

白い息が冷たい空気に溶けて消えた。夜ともなると身を切るように寒くなる。

僕には夢があった。ご近所同士での夕食の交換。テレビでしか見たことないけど『作りすぎちゃったからよかったら食べて〜』というあれだ。
一応自炊はできるけど自分で作ったものはあまりおいしく感じないのはなぜだろう。

学食のジェリーさんが作る料理は本当にどれも美味しい。そう言ったらジェリーさんは喜んでレシピを教えてくれたけど家で作ったそれはイマイチ味が違うような気がした。

ちなみに今日の夕食は一人鍋。金曜ともなると手抜きもしたくなる。あ、今日の金曜ロードショーは何だろう。

カン、最後の階段を踏み鳴らして廊下を進んだ時だった。

「っ〜〜くゥ〜さっっみぃさぁー!」

「え、」
「備え付けのエアコンあるっつーから油断してたさ、なんさあの弱っちい風、カビ臭いし!」

あんまし金使いたくねーけどストーブ買うかな〜そう愚痴を溢しながらどさりとゴミ袋を持って現れたのは初めて見る僕の隣人。

「あ?」
「っ……!っ…!?っこ、こんばんはっ…」
「あーもしかしてオレ邪魔になってる?ごめんさ、今退くから」

どっこらしょ、とゴミ袋を移動しドアを閉めて道を譲ってくれる。

「ん、」
「あ、ありがとうございますっ…」

気が動転して気づかなかったけどこれはどう見ても…。

自室の鍵を開けながら気づかれないようにそっと横目でその男を確認した。

鮮やかな赤毛が目を引く、自分より四、五歳くらい年上だろうか。がっしりとした体格、寒いと言うわりに薄着でその上にコートを羽織っていた。

そして手には、ゴミ袋。

「あ、の…」
「え?」
「これからどこに……?」
「どこってゴミ出しに行くに決まってるさ!」
「い、今から?」
「そうさー!ゴミいっぱいになっちまったからな!」
「ゴミは収集日の朝、九時までに出さなきゃいけないんですよ。次の収集日は確か…三日後の月曜日です」
「……マジ?」
「はい」

越してきたばかりですからね、うちの地区は原則当日の朝出すのがルールなんですよ、そう続けようとして固まった。

「収集日とかあんの?」
「え?」
「いつでも出していいもんだと思ってたさオレ!」

ハハー!と豪快に笑う姿は冗談を言っているようにはとても見えず、小学生の頃から毎週ゴミ出しをしていた僕は開いた口が塞がらなかった。

確かに普通は越した先のゴミ収集日ぐらい確認しますよね…。

「じゃこれはまだ出せないんさね〜」

ふと視線を下げた先のゴミ袋にはカップラーメンの山。あとはビールやらチューハイやら空き缶が目立った。というかほぼそれしか見当たらない。

「……っ、」
「今度から気ーつけるわ!ありがとさ〜」
「あの!!」

あぁぁぁぁ言っちゃった…!

「あ、のっ……」

思ったより大きな声が出てしまったのがさらに恥ずかしい。目線を合わせられず俯く。

「ん?」

首元のマフラーに隠れるようにしてようやく次の声を出せた。

「よ、よかったらっ……!」


一緒に夕飯食べませんか。


シミュレーションしてた作りすぎちゃったからとか買いすぎちゃったからとかそんな都合のいい方便も、初対面の記念にとか気の効いた誘い文句も言えず僕は寒空の下、真っ赤になりながらそれだけ叫ぶように言った。

「……」
「……っ」

沈黙がツラい。恥ずかしさで死ねるなら僕は今即死する。

「それ、鍋さ?」
「え?」

僕の提げたスーパーの袋を指す。

「そ、そうです…」
「マジ?やりー!!最近まともなもん食ってなかったんさよねー!マジでいいの?」

がっと肩を組まれて俯いていた顔を覗き込まれた。澄んだ翡翠の槍に射抜かれる。

「は、はいっ……」
「……」
「……??」
「……男?」
「は?」


それが僕とお隣さんの出逢いでした。


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