創作短編◆

□言う人と言わない人
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潤はふと手を止めた。

「篤志。…篤志?あーつーしー」
「聞こえてるっつーの。大きい声出すんじゃねーよ」

ばかでかいアイスキャンディーをくわえながら篤志が部屋に入ってくる。
ん、と言いながら潤にもうひとつのアイスを渡す。

「で?なんなの」
「さっきね、あそこの塀の上に猫がいた」
「うん」
「超かわいかった」
「うん」
「そんだけ」
「んだよ、そりゃ」

潤はいつもこうだ。
篤志にとって割とどうでもいいことを一々報告してくる。
そして「猫がかわいかった」はまだかなり良い部類に入る。
他には「玉ねぎを泣かずに切れた」「裁縫の宿題の玉結びがうまくできた」「好きなアーティストのブログが更新されていた」など。
いきなり呼び出されて何があったのかと聞くと「今すごく気分が良かった」で終わることも少なくはない。
また、集中力が切れやすいのが玉にキズでもある。
今も大学で出された課題をやっているらしいが、アイスを取ってくる前と比べても進んだ気配がない。
どうせ分からなくて嫌気がさしたときに猫を見つけてひたすらかわいいと思い続けていたに違いない。
ここまで分かってしまうのも悲しい気がするが、それは潤は単純明快な人間だからだ。
いい意味でも、悪い意味でも。
立ったまま潤を見下ろすと茶髪の頭をひっくり返して篤志を見てきた。
その目は明らかに篤志の助けを求めている。
諦めて隣に座り、どうしたの、と問いかける。

「うん、ここなんだけど。よく分かんない」
「高校で習う数式じゃん。調べりゃいいだろ。大学生にもなって高校生に聞くか?」
「だって調べてもよく分かんないし。篤志のほうが頭いいし」
「プライドとかねーのかよ」
「そんなもんあったら聞くわけない」

潤は唇を尖らせながらシャープペンシルで篤志の腹筋をつつく。
べしんと手をたたこうとすると、ヒュッと潤の手が引っ込む。
にっひっひーと口角を上げながら篤志の追撃から逃れるが、篤志が心底疲れた目をすると動きが止まった。
もそもそと近寄ってきて広げたテキストの空欄を指差してくる。

「ここ。助けて」

今まで高かったテンションと声を沈めて申し訳なさそうに手を合わせる。
こういうときにふたつ年上だということを忘れてしまう。
弟にこういうこと頼むかな。今度友達に聞いてみよう。
はぁ、とため息をついて篤志はテキストを受け取り、授業で習った範囲で頭を回転させる。
しばらくテキストに目を落としたままだったが、不意に左手を伸ばし、

「こら。抜け出そうとしてんじゃねーよ」
「あ、ばれた?」
「ばれる」

潤のシャツの裾をつかむ。
篤志にテキスト任せてアイスと一緒に逃げ出そうとした潤にさっきの反省した姿は微塵も感じられない。
潤を強制的に座らせ、篤志は自分の部屋から参考書を引っ張り出してきて潤の目の前に置く。
今度はむくれて唇を尖らせた潤は観念したのか参考書とテキストを開き始めた。

その様子を確かめながらチラリと潤を見る。
馬鹿そうなんだけど、なんかかわいいんだよなぁ、と思う。
そして放っておけないとも思う。
本人に言ったら調子に乗るので絶対に言わないでおくけど。
篤志はその考えが漏れないように少し眉を寄せてテキストを睨みつけた。



end

20100919

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