創作短編◆

□救済を望む
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さぁぁぁぁ、と雨が降り始める。

中庭ではあじさいが咲き、蛙が求愛の声を出す。
しかしそんなことは、ここでは関係ない。

ぼろり、と彼は目から涙をこぼした。

ぼろりぼろりと溢れ出る透明な液体は彼の頬を伝い、顎まで辿り着いたそれはひとつの雫になって床に吸い込まれていった。

「……あ、こ」

呼吸器をつけても呼吸が消え行く小さな彼女を呼ぶ。
目を閉じたままの彼女は彼の声に答えることなく、ただ静かにそこに臥せっている。

「…あこ」

彼女を呼ぶ彼の声が、

「あこ」

だんだんと小さくなっていく。


まだ幼い少年と少女。
白いシーツに包まれた彼女は微動だにせず、ただただそこに臥せている。
シーツには目立った皺も汚れもなく、綺麗に、清潔に、純潔に、己の役目を果たしていた。
暗くなりはじめた部屋に明かりはついていない。
ゆっくりと暗闇と静寂に飲まれていく部屋に、彼の鼻をすする音としゃくりあげる声だけが響く。

どう縋っても無駄だということに彼は気付いている。逆に、これだけそばにいて気付いていないわけがない。
ひえて冷たくなった彼女の手を握る。
彼の目から再びぼろりと涙がこぼれる。
こぼれた温かい水が彼女の手に落ち、乾燥した肌を濡らす。

「あこ」

呟く声は誰にも聞こえないほど小さくなっていた。
その声はもう彼自身が発しているのかすら分からない。
視覚も聴覚も触覚も、まるですべてが麻痺してしまったかのような彼に、そんなことなど問えるはずがない。
ただ、生きるように呟き続ける彼の姿は滑稽と言えないほど寂しいものだった。

そんな顔しないで、と今にも彼女がベッドの中から笑いながら話しかけてきそうだった。
その辛さは本人以外分かるものはいない。
それでも彼は時間ができると彼女に会いに来た。
歩けなくなる彼女。話せなくなる彼女。笑えなくなる彼女。
歩ける彼。話せる彼。笑える彼。
きっとそれを一番辛く感じていたのは彼女ではなく彼だったのではないだろうか。

まるで小説やドラマのようなありきたりの展開が、彼らを包んでいた。
さみしい、さびしい。
探せばすぐ見つかるようなありきたりの展開。




「大和くん、亜子ちゃん」

私は彼と彼女の名前を呼ぶ。

「せんせい…」

再び彼の目から大粒の雫がこぼれる。
縋るような、その目。
どうしようもないことは彼にだって分かっているはずなのに。

「いもうとを…」

彼はランドセルをがちゃん、と揺らす。

「たすけてください」

私に向かって深々と頭を下げる。
彼がどんな顔をしているのか私には分からない。

呼吸器をつけて、ようやく浅い息をする彼女。
助けられるかは分からない。


でも、言う言葉はひとつ。


「まだ、大丈夫だから」



心臓はまだ動いているのだから、
のぞみは消えていないのだから。

私にできることがあれば。



end

2010.11.22


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