111式の恋1◆

□57.疼く(うずく)
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やっちまったなー、と秋田はガムを口に含んだまま器用に舌打ちをした。

シャツすら着ず、剥き出しにした上半身を風が撫でる。
質の良い筋肉に覆われた体は秋田の努力の賜物だ。
背中の中央に入れた刺青がぞわりとする。
なんと言うか、口に出して説明することのできない妙な感覚。

薄紫色のガムを膨らませ、ぱぁんと指で割った。
口の周りに張り付いた粘つきを指で取りながら秋田は空を仰いだ。



送電塔の上には深く灰色にくすんだ空。
そしてそれよりも濃い色の雲がゆっくりと流れていく。
頭の位置を戻すと眼下には天に向かって伸びる幾本もの鉄塔たち。
地上を埋め尽くす有害な気体の数々。
怒号、銃弾、割れたガラス、破壊音、サイレン、汚れた金。

いつのまにかここは物語の中によく登場するような、見事に廃れた世界になっていた。
文字通り、生きるために生きているような流れる生活。

昔はこうじゃなかったのにな、ときれいな思い出を振り返っても意味がない。
秋田は傍に置いてあった催涙弾の入った銃を引き寄せる。

「ミー。……ミー」

まるで猫の鳴き声のような名前を呼ぶ。
いつまでたってもこの名前を言うのは成人男性として少し恥ずかしい。
が、そんな秋田の気持ちなどまったく無視して、

「はいさー!なんスか、秋田しゃーん」

馬鹿みたいに朗らかな声でミーはひょこりと顔を出した。
茶髪というか金髪というか、薄いオレンジに近い髪を揺らしてミーは送電塔の外壁にかけられたハシゴを登ってくる。

秋田よりも年下でまだ少女と言ってもいい外見と口調だが、ミーも一応は成人している。
平和な世の中だったら確実に人目を引く容姿をしているが、今のご時勢そんなことはあってないようなものだ。
金持ちに囲われる用途以外は。

「秋田さーん、なんですかー?」

持ち前の身軽さを発揮してハシゴから飛び上がったミーは秋田の横に座る。

頬杖を突いた左腕の手首から先がないのはミーが義手をつけることを嫌がるからだ。
せっかく闇医者に連れて行ったのに、あんな金属操れるわけない!と駄々っ子のように暴れるミーを押さえ込むことに、秋田はかなりの時間を要したことを思い出す。





秋田はミーに借りも作っていないし、世の中が荒れる前まで接点もなかった。
そしてそれは今でも同じだと思っている。

住んでいる街が物騒になってくると、さっさとそこから離れだす秋田に、なぜかミーはひょこひょことついてくる。いつまでもついてくる。
「なんでついてくるんだ?」と聞けば「なんとなくっスよー」と返される。

いまだに秋田はミーの本名すら知らないでいる。
他の人が呼んでいた名前を真似して呼んでいるだけだ。
そのことにミー自身は何も言わないので、秋田はずっとそうしていた。



確か最初は職安かどこかで隣の席に座ったことがきっかけだった。
経済も不安定になり、あっさりクビを宣告された秋田が偶然そこに立ち寄ったのがすべての最初だ。
その後、勤めていた会社ではストライキや様々な内部分裂があって急転直下で倒産したらしいので、どのみち職安のお世話になっていた。
それから、以前警備会社に勤めていたこともあって、秋田は日雇いのアルバイトでもそこそこ給与の高い仕事をこなして生活することができた。

そして、気づけば秋田が行く先々でミーの姿を見ることになる。
同じバイト先で会うこともあれば、アパートの隣室になることもあった。
ストーカーかと問えば、そんな陰湿なことはしていないと憤慨される。
まぁいっかと考えていれば、いつのまにか押しかけ女房のような位置づけでミーは秋田の生活に入り込んでいた。
世の中に対しての共闘や共存と言った方が的確な関係だ。

そして彼女は思っていたよりも色んな意味で強く、秋田に手間をかけることもほとんどなかった。
銃火器の扱いも手馴れていて、本当にこいつは何者なんだと聞きたくなった回数は片手の指では足りない。





今、ふたりは荒れた世界の端にある送電塔のてっぺんにいる。
今からする行動を伝えるのは、秋田にとっていつも至難の業となっていた。

「あ、その。なんつーか…」
「充電ですよね?いいですよー。ほら、どーんとおいでー」

秋田の言葉の端を拾ってがばっと大きく腕を広げたミーを、秋田は強引に引き寄せた。
華奢な体がみしりと音を立てる。
「痛いー」というミーの文句を、秋田は無言で押し殺した。



秋田は時々弱くなる。

こんな世の中になる前から時々そうなっていたが、周りが荒れ始めてからはその傾向が酷くなった。
泣くのではなく叫ぶでもなく、ふと穴に落ちる感覚に至る。
仰々しく主張する背中の刺青がじくりと疼き、眉間に皺が寄る。

今、頭の中で疼いているものは何か。
脈打つ心臓が動きを早めて疼く対象は何か。

「……ミー」
「なんスかー」

広げていた両腕を秋田の背に回して、ゆっくりと肩甲骨を撫でていたミー。
秋田はゆるりと腕の力を緩めてミーを見る。

「ありがとう」
「どういたしましたー」

いたしましてだろ、と言うと頭突きをかまされた。
食いしばった歯が口の中のガムをぐにゃりと噛む。
ざまーみろ!と大笑いするミーに蹴りを入れようとしたらあっさり避けられた。
唸る秋田に笑ったままのミーは、

「秋田さん、ガムくださーい」
「嫌だ」
「充電させてあげたでしょー」

上から目線の台詞でもミーが言うとそうでもなく聞こえるのは秋田の思い違いか。

「仕方ねーな」
「わーい、ありがとーございまーす」

ガムのケースを受け取ったミーはケースの蓋を開ける。
口にガムを入れ、ケースを返しながらミーはにっこりと笑った。

ミーの背後に射した陽の光が煌いている。



秋田の頭の、別のところが疼いた気がした。



end

2011.02.24.

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