111式の恋1◆

□10.惚れる
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会社帰りに商店街のアーケードの下を歩く。
夕飯時というのもあって、たくさんの店が活気よく商品を売りさばいていた。
この風景だけを見ていたら不景気なんて一体どこで騒がれている話なんだろうと思う。

僕はところ構わず勧誘してくるおっちゃんやおばちゃんを断り、目当てのお店へ行く。

「どうも」
「…また来た」
「お客を邪険に扱ったらいかんよ〜」
「あんたは別じゃい!」

黒髪を頭の高い位置でポニーテールにした女性が僕を見て顔をしかめた。
毎回毎回そんな顔してたら可愛いもんも可愛くなくなるんだけどな、と思う。

「今日は何しに来たん?」
「お魚買いに」
「じゃあはよせぇ」

店の先に仁王立ちして僕を見上げるこの人は「魚屋かたうち」の娘さんだ。
名前は伊和というらしい。時々、親しみを込めて「いわいわ」と呼ぶと怒られる。
年齢はまだ20台半ばなのに、親父さんと一緒にちゃきちゃきと店を仕切っている。
年下なのにすげーなっていつも思う。





そんな伊和さんと初めて会ったのは1ヶ月くらい前のこと。

「おねーさんの髪、なんつーかアンコウの提灯みたいやね」
「…………は?」

という会話がきっかけ。

「…なんでアンコウ?」
「なんかポニーテールがそれっぽいから」
「……ウチはあんなに厳つい顔してんわ!」

くわっと歯を剥いた姿はアンコウの雌に負けず劣らずだったのは言わないでおこう。
おいしそうな魚があるなと思って店に寄り、会って2分で敵対された。

その後も怒っていた伊和さんだが、商いと私情は割りきる性格らしく、僕はサバの切り身とカレイを買わされていた。
やってしまったなーと思いながら、一人暮らしのアパートで寂しく魚を食べたことを思い出す。
そしてその時食べた魚は思っていた以上においしかった。
新鮮なものを買わせてもらったんだなと思うと、次の日も店に足が伸びていた。

最近はここの魚しか食べてないと思う。
いつのまにか惚れちゃった的なアレです。





「今日のオススメって何?」
「…タイじゃな」

ぶっきらぼうだけど伊和さんは僕の質問にちゃんと答えてくれる。
…本当はいい人なんだよな、この人。
僕は氷と一緒に白い発泡スチロールに入った魚たちを見ていく。
その間も、伊和さんは他の客を次々とさばいていた。
上着は腕捲りをして、魚の入ったたくさんの箱を奥の棚から手前に下ろしていく。
人の波が引いたところで、彼女は僕に顔を向けた。

「まだ選べてなかったん?」
「タイだけじゃなくて他のもええかなって思って」
「…はよ選んでね」

伊和さんは目を伏せて呟いた。
疲れているように見えるのは気のせいか。

「……ちゃんと休んでる?」
「は?」
「腕、キスみたいになってる」
「なんでキス?」
「細っこくて白いから」

そう言って僕は伊和さんの手を取る。
腕捲りをして外気に触れた肌はびっくりするくらい冷たい。
こんな細い腕で店を切り盛りしているなんて信じられない。

「休めるときは休みよ」
「あんたに言われる筋合いはない!」
「ある」
「ない!」
「ある」
「ない!」
「だって惚れたんやから」
「な…いぃっ!?」

伊和さんがフリーズする。
そんな彼女に、にやける顔を我慢して「ここのお魚にな」と付け加えた。
ぽかんとして僕を見ていた伊和さんはみるみるうちに顔を赤くしていく。

「……ゆでダコ」
「うるさい!」

ぼっと顔を染めた伊和さんは僕がつかんでいた腕を振り払った。

「こういうのをツンデレ言うんかな」
「誰がじゃ!」

僕の言葉に伊和さんはすごい形相で反論してくる。

「魚買ってはよ帰れ!」
「はーい」

僕は素直に従う。





もちろん惚れたのは魚だけじゃないのは口が裂けても言わない。

挙動不審で目を合わせようとしない伊和さんに、僕はタイの切り身くださいと言った。



end

2011.04.04.

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