創作短編◆

□弱虫リリラ
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コツコツと音を立てて廊下を歩き、黄ばんだドアを開ける。
部屋の中には黒くて大きいピアノがぽつんと置いてある。
僕はピアノの傍にしゃがみこんで、その下でうずくまっている人影に声をかけた。

「リリラ」
「…ん」

リリラは眠たそうな声で僕を見る。
艶のない澱んだ色の黒髪がピアノを掠める。
大人が入るには少々狭いそこにも、リリラは小柄な体を滑り込ませて動こうとしない。
この前20歳になったくせに相変わらず子どもみたいだ。

「親父さんが探してたぞ」
「あんなおっさん知らねー」
「おっさん言うなよ」
「おっさんはおっさんだぁー」

リリラの親父さんはこいつと違って豪快なお父さんだ。
親父さんは国の空隊に勤めているから一年の大半を隊舎で過ごすらしく、リリラとほとんど会うこともない。
そんな親父さんが久しぶりに家に帰ってきたそうだから、こうやって僕がリリラを呼びに来たわけだ。
まぁ、僕の父とリリラの親父さんが親しいということで使いっ走りさせられただけなんだけど。

「ほれ、行くよ」
「知らねーよ、あんなおっさん」
「バカ息子の戯言なんて聞きたくないね」
「うっさーい」

ピアノの下から沈んだ声が聞こえてくる。
リリラという可愛らしい名前で誤解されることが多いが、こいつはれっきとした男だ。
僕よりひとつ大人の癖して、ワガママでいじけ虫でぐだぐだしていて全然大人っぽくない大人だ。

「ほら、早く行かないと外も暗くなる」
「やだ」

彼にとって、父に会うことは今の惰弱な自分を曝け出すことになる。
断固として首を縦に振らない彼は、まだピアノの下で現実逃避をしている。



この建物の、この部屋の、このピアノの下が、リリラにとって街で一番のお気に入りとなる場所だそうだ。
よくもまぁこんな場所を見つけたものだと褒めたくなる。
古びた建物の一番奥にあるここが、弱虫リリラの心休まる居場所らしい。
確かに、外の騒音も声も活気も届かないピアノの下はある意味安心できるところかもしれない。
見つけ出さないといけない僕の身にもなってほしいけど。

僕はピアノの傍に座り込んで足を投げ出す。
小さい窓から陽光が漏れ入ってくる。
この光が消えるまでにはリリラを連れ出さないといけないな、と僕はぼんやり考えた。









「フェズ」

僕の名前が呼ばれたと思ったら、隣にリリラがいた。
予想よりも早く音楽機器の下から這い出した彼を、僕はすごく驚いた顔で見た。
風に吹かれて柔らかく揺れた漆黒の前髪がリリラの目を隠した。
その目が綺麗な黄色をしていることを知っているのは何人いるかな、とどうでもいいことを思う。

足を前に出している僕と違ってリリラはあぐらをかいている。
その細い足を見ると、学校の先生に筋肉をつけろと言われていたことが蘇る。

「意外と早く出てきたね」
「……まぁ」
「もっとかかると思ってた」
「ごめーん」
「許さん」

こいつに遠慮する必要はない。
僕はリリラの脚をぱしんと叩く。手の平に骨が当たって痛かった。
叩かれた脚をきゅっと縮めて、彼はごろりと床に寝転がった。
埃っぽいよと言っても大丈夫という適当な返事しか戻ってこない。

リリラはすこし夕暮れに近づいた部屋の天井を見つめている。
何かを考えているんだろうけど、わざわざ僕が邪魔することでもない。
つい、と視線をやると目が合った。

「…ピアノ、弾いてくんない?」
「僕が?」
「うん」
「なんで」
「なんか聴きたい」
「…聴いたら親父さんのところな」
「…………分かった」

よーし、了解。
僕は立ち上がってイスに座り、薄く埃の積もったピアノの蓋を開ける。

ピンと一音、鍵盤を鳴らす。
自慢じゃないがそこそこ頑張っていたので大抵の曲は譜面を見ずに弾くことができる。
リリラに聞いてもなんでもいいと言うだろうから、僕は一番最初に浮かんだ曲を弾く。
軽やかな高音に不意打ちで入る低音が心地いい、僕が特に好きな曲。
時々リリラを見て、「どう?」という目をしてみせる。
そうすると彼は寝転がったままふにゃっと笑って、床を指で叩いてリズムを取る。
ピアノは僕の方が上手いけど、リズム取りはリリラの方がうまいんだよな、複雑。
ここで調子に乗らせてしまうと、また親父さんのところに行かないと言い出しそうなので何も言わないけど。

「やっぱりフェズのピアノ、好きだな」
「そりゃどーも」

弾き終わった僕は丁寧に蓋を閉め、リリラに手を伸ばす。
僕の手を取って立ち上がったリリラは観念したように扉へ向かう。





その後、親父さんに会ったときリリラは少しだけ嬉しそうな顔をした。
親父さんも久しぶりに息子と会って楽しそうだ。
夕日に空隊の勲章がきらきらと光っている。

僕はそれを遠くから見ていた。
ピアノの下に隠れていた青年の面影はどこにもなかった。



end

2011.04.16


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