創作短編◆

□解凍される街
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オフィスの中はクーラーのおかげで恐ろしいほど涼しくなっていた。
節電なんて言葉は海の底に置いてきたかのように、まったく地球に優しくない状況。
オフィスから一歩外に出ると灼熱の太陽が肌をじりじりと焦がす。
満員電車に乗り込めば人の熱気とは裏腹に冷房がここぞとばかりに頑張っている。
中途半端に温かくなった体が再び冷やされる。
電車から降りて家へ向かう途中の道は夜なのに暑く火照っていた。

部屋に入れば日中の熱を吸い込んだ壁が妙に暑苦しい。
化粧を落としてベッドに倒れる。
じわりと湧いてくる汗が身体中を溶かしているみたいだ。
まるで解凍される魚の感覚に似ているのかもしれない。

そこでようやく知夏は息を吐いた。

「あっつー……」

言いたくもない言葉が舌の上を転がって勝手に外へ飛び出してくる。
暑いって言ったらバツゲーム、なんて遊びをしていたのはどれくらい昔のことだろう。
時間が余っていて特にやることもなくて、暇で暇で仕方がない年頃だったときだろうか。

ベッドにうつ伏せになりながら、知夏はじわりと湧いてくる汗を近くのタオルで拭った。
部屋の電気をつけるだけでなぜか暑く感じるのはもうどうしようもない。
サイドテーブルに置いたスポーツ飲料を手にとると、そのペットボトルですら汗のように水滴を全面に垂らしていた。
これが本当の汗だったら飲む気なんてしない、と知夏はうつ伏せになったままボトルを煽る。
放置していたせいで生ぬるい液体が喉を通っていく。

「アイスあったかな…」

ぽつりと呟いた言葉は空中に飽和する。
起き上がって冷凍庫の扉を開けるとカップアイスがふたつ転がっていた。
これなら明日の分もある、と知夏はバニラを取り出してスプーンと一緒にベッドへ戻る。

その時、携帯電話が音を立てた。

着信を見ると大学時代の友人からだ。

「もしもし?」
『あ、知夏?久しぶり!今、大丈夫?』
「うん。どうしたの?」

結論から言えば、友人の顔を立てて合コンに参加してほしい、とのことだった。

「なんで私が参加しなきゃいけないの」
『他の子、みんな都合がつかなかったのよ。知夏が最後に頼める人なの、おねがい!』
「……仕方ないなぁ」
『えっ、じゃあ』
「今からアイス持って遊びに来てくれるんなら考えてあげないこともない」
『おっけー、何味がいい?』
「とりあえず量がほしい」

任せなさいと友人は勢いよく通話を切った。

ツーツーツーと無機質な音しか出さない電話をベッドに放り投げ、知夏はすっかり溶けてしまったアイスを手にとる。
カップの側面を指で押すと、ぶにっという嫌な感触がする。
溶けたものを再度冷やすわけにもいかず、知夏はどろりとなったアイスをスプーンですくう。
表面張力で保っている量を溢さないように口に運ぶ。
甘い味が口内に広がり、体の疲れをほんの少しだけ払拭した。
その後も溶けきったアイスをまるで飲むように食べる。
シャーベット系は溶けてもわりと平気なのだが、今食べているものがそうでないのが残念だ。

ひとり部屋に佇んで、外から聞こえてくる虫の音に耳をすます。

「……あ、クーラー壊れてるって言うの忘れてた」

暑さに溶けていく言葉はどうしようもないくらいの後悔を含んでいた。



end

20110712


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