企画◆

□泡沫ミニアチュール
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ラムネをおひとつ
age・12



あかりと利人が初めて会ってから一年。
その次の年もあかりは父方の祖母の家を訪ねることになった。
相変わらずの日照りの中、あかりは去年と同じように「渋原さん」の家まで歩いていく。

去年、隣の家まで挨拶に行ったあかりは利人と一緒に祖母の家まで帰ることになったのだが、歩いている途中で足が痛くなってうずくまってしまった。
痛いを連発して愚痴をこぼすあかりに業を煮やした利人は、無理矢理彼女を背負って祖母の家まで届けた。
なぜかそのことがあまりにも恥ずかしく、それ以降あかりは利人の家を訪ねなかった。
今年は行くつもりなどなかったが、祖母が「挨拶に行ってきなさい」と薦めてきたので、前回の反省を生かし今年はかかとが高くないサンダルを履いた。
非常に面倒くさかったが、無碍に断るわけにもいかない。





「暑いなぁ……」

服の胸元をぱたぱたとさせながらあかりは炎天下を歩く。
祖母が持たせてくれた日傘のおかげで直射日光を浴びることはないが、それでもじりじりと攻撃してくる太陽が恨めしくなる。
ペタペタとサンダルを鳴らしながら歩いていると、ようやく「隣家」が見えた。
田んぼと田んぼの間にあるあぜ道から家の敷地内に入り、あかりは横開きの引き戸を眺めた。
声をかければ渋原さんは出てきてくれるだろうか。
今年もお世話になりますとだけ言ってすぐに帰ればいい。早く家に帰ってアイスが食べたい。クーラーなんて贅沢は言わないから今すぐにでも扇風機の前を陣取りたい。
あかりはそう考えて呼び鈴もない玄関の扉を控えめに叩いた。

「こ、こんにち―――」
「あ!野瀬のばあちゃんとこの!」

あかりが全てを言い切る前に背後からかけられた声がそれを遮った。
振り向くと日焼けして身長も伸びた利人が立っている。
去年と同じランニングシャツに綿パン。後ろには風に吹かれる緑。

「今年も来たんか」

浅黒い顔の中で歯だけが白く光ってる。本当にこんなことあるんだ、とあかりは変なところで感心した。

「あの、挨拶をしに…」
「ふーん、そーか。ごめんなぁ、ばあちゃん、今日も田んぼや」

あまり謝る気のない声で利人は背後に広がる田んぼを指差す。
ざあ、と名も知らぬ草が揺れる。

「暑いやろし、ちょお休んでき。縁側にでもおりや。ラムネあげんで、待っとき」

あかりの横を通り、利人は家の戸を空ける。
泥のついたサンダルをぽいぽいと脱ぎ、利人は薄暗い家屋へと入っていった。
その待遇にあかりは目を見開いた。すぐに帰ろうと思っていたのに、こうされては帰ることをためらってしまう。
あかりは誰もいない縁側へしぶしぶと向かい、開けっ放しのガラス戸の傍に腰を下ろす。家には誰もいないはずなのに無用心ではないのだろうか。父と住んでいる街とは大違いだ。

「ほい、おひとつどーぞ」

庭に生えている草木をぼうっと見ていると、利人が瓶をふたつ持って現れた。
よいしょ、とあかりの隣であぐらをかく。

「あかりちゃんはさぁ」
「ち、ちょっと待って」
「何?」
「なんで名前で呼ぶの?」
「え?普通そう呼ばん?」

あかりの問いに利人は目を丸くする。
あかりが住んでいるところではそう簡単に異性を名前で呼ばない、と言うと、利人は「ここではそんなもん普通」という言葉と一緒にラムネを手渡してきた。
ひやりと冷えた瓶が手の中で温度を上げていく。
飲みや、と促す利人はすでに蓋を開けて瓶を煽っていた。そして口元を拭ってあかりに向き直る。

「名前で呼ばれんの、嫌?」
「嫌……っていうか、なんか慣れない」
「んじゃ、俺が呼んでたら慣れる?」
「分かんない……」

これは本心だった。今まで自分を下の名前で呼んできたのは両親と祖父母、親しい友達ぐらいで、同級生の男子はみんな「野瀬さん」だったから。

「ほな、これから慣れてったらええよ。俺のことも利人でいいし」
「え、それはちょっと……」
「それも嫌?」
「く、くん付けじゃ、ダメ?」
「……まぁそれでえっか」

同級生にはいない浅黒い顔で利人は笑う。
どうしていいか分からなくなって、あかりは「それで、何か聞きたいことがあったんじゃなかったの?」と慌てて話題を変えた。
そうそう、と利人はラムネ瓶の縁を指でなぞりながら言う。

「あかりちゃんは中学校どうすん?私立受験?」
「うん。一応クラスでも受験組だから」

そんなこと聞いてどうするんだろう、とあかりは瓶の縁を無意識に引っ掻いた。
利人は遠くの木を見ながらぽつりと呟く。

「俺、嫌われたんかと思ってた」
「え?」
「去年、あれ以来ここに来んかったから」

あの怪我の話をしている。頭では瞬時に理解できても、あかりの口から言葉が出ることはなかった。肯定も否定もできなかった。
まさか利人がそんなことを思っているなんて思わなかったから。

「でも、よかった。来てくれた」

小さく呟かれた言葉はラムネの泡と一緒に消えた。



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