企画◆

□泡沫ミニアチュール
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ビー玉は私に
age・15



中学校は違うけど、あかりと小学校で一緒だった友達が高校受験だと騒ぎ始めた。
それに比べて中高一貫の女子校に通っているあかりは何も慌てることなどなかった。成績はいい方だし、授業料も父の稼ぎのおかげで毎月払うことができている。
外部高校を受ける子以外は受験の話なんて自分とは関係ないことだと思っている人がたくさんいる。
ただし、やはりそれは一部分の人のことで、父の田舎にもその波はやってきていた。

「俺な、農業高校受けようって思ってる」
「そうなの。なんで?」
「作物たくさん育てたい」

自分の家の縁側でソーダ味のアイスをかじりながら利人はあかりにそう告げた。
しゃりしゃりと気持ちのいい音を立てながら食べられていく氷の欠片が地面に落ちる。
青い水たまりに寄ってくる蟻を見下ろして利人は、あかりちゃんは?と目で問うた。

「私は中高一貫の学校だからどこに行きたいっていうのはない」
「でも文系か理系かは決めとんやないの?」
「うん、理系一直線」
「偉いなぁ」

数学なんて勘弁、と利人はアイスの棒をくわえて夏の空を見上げる。
激しく鳴く蝉が裏山から大量に飛んできそうだ。

「農業高校ってどこにあるの?」
「こっからだとバス使ってちょお出なあかん。そんで…」
「トシ、何やっとん!俺にもアイスくれやー!」

利人が説明し始めようとした時、家の前を誰かが通りかかった。
その顔にはあかりも見覚えがあった。利人の友達で何回も会ったことがある男子だ。初めて見たのは十三歳の時だったか。
彼は道の真ん中で立ち止まったままあかりに手を振る。

「あかりちゃんもおはようなー」
「あは、おはよう」
「お前の分なんかあるかっちゅーの。あかりちゃんのやつしかないわ、アホ!」
「そーけ、トシちゃんひっでー。あかりちゃん、こんなアホやめて俺にしとき」
「お前、はよどっか行け!」

ケケケと悪魔みたいな笑いを上げて、利人の友達はニヤニヤしながら姿を消した。
「あいつはほんまに…」と利人はぶつぶつと低い声で何かを呟く。
初めて会ったときは声変わり前だった利人も変声期を過ぎて低い声になっていた。

なぜかみんなあかりと利人が付き合っていると思っているが、そんなことなどない。
女子校であるため利人以外の男子の知り合いがいないあかりと違い、利人は地元の中学校に通っているので女友達はいそうだが、そのあたりが気にならないと言えば嘘になる。
だが、わざわざそれを聞く勇気を今のあかりは持ち合わせていなかった。

「ごめんな、あいついっつもあんなんやから堪忍な」
「いいよ別に」
「よかないわー」

青空の端に残った白い雲を掴むように利人は縁側に寝転んで手を上げる。
あかりは、人は自らの手が届かないものを欲しがる、という言葉を思い出した。










ジジジジ、と蝉の声が遠くで聞こえる。
薄く瞼を上げると、あかりは自分が寝ていたことに気が付いた。
慌てて起き上がるとタオルケットが足元にずり落ちた。
あかりが自分で掛けた覚えはない。
ということは―――

「おはよー」

少し離れたところで机の上に夏休みの宿題を広げた利人がのんびりとした声を上げた。
上半身を上げたあかりはきょろきょろとあたりを見回す。外はもう薄暗くなっていた。
カリカリとノートにペンを走らせる利人はあかりを見ようとしない。

「なー、あかりちゃん」
「何?」
「ここ教えて」

あかりは縁側から机の傍に這い寄る。利人が指したのは数学の応用問題らしい。
問題を読んで解き方は分かったが合っているかは実際に解いてみないと分からない。あかりは部屋にかけてある時計を見る。

「明日でもいい?暗くなってきたから帰らなきゃいけないし…」
「まだええやろ」
「だって…」
「傍にいて、」

利人の左手があかりの右手を掴んだ。
その瞳が少しだけ揺れ「……て、手伝ってくれたらラムネおごる」と小さな声が続いた。
ラムネで買収されるのもどうかと思ったが、じんわりと暖かくなる手の温度に免じてあかりはしばらくここに残ることにした。
そして利人の隣に座って式を解く。

「まずはこの部分なんだけど」
「うん」

あかりの指差す数字を利人の目が追う。
一言一句聞き漏らさないように険しい顔をする利人が妙におかしかった。

「これをさっきのところに代入して」
「うん」
「そしたらこっちのところで解が出るの」
「ち、ちょお待ってな。えっと、つまりこうで…こうやから……七で合ってる?」
「うん、合ってる」
「やったー!解けた!ありがとう!」

パアアアッと利人の瞳が輝いた。
まるで光に当てたビー玉みたいなきらめきだ。

「よし、ラムネ取ってくる!」

利人は勢いよく立ち上がって冷蔵庫に向かった。
その後姿を見ながらあかりはふと右手の熱が消えたことに気付いた。

「つ、繋ぎっぱなしだった…」

握られていない手が再び熱くなったような気がした。



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