企画◆

□泡沫ミニアチュール
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「底から生まれて、」
age・11



野瀬あかりは父方の実家に帰ってきていた。
昨年の暮れに父と母が離婚して以来、この田舎町へ帰ってくることはなかった。
あかりは周りに田んぼ以外何もないこの家が嫌いだった。
農家の家は大抵こうだよ、と父に言われたが、ずっと都会で育ってきたあかりからすれば有り得ない世界に思える。

都会出身の母は田舎出身の父のことをどことなく馬鹿にしていたし、仕事で家にいない父ではなく専業主婦の母にべったりだったあかりは母の言うことが絶対だった。
だから、母があかりを引き取らず養育費だけを払うから父に彼女の世話を押し付けたのは幼いながらにショックだった。
母は荷物をまとめて家を出て行ってしまったので、親子三人で暮らしていた家にいるのは父とあかりのふたりだけになってしまった。

そして夏、父にお盆の休暇を利用してあかりを実家に連れてきた。





「あかり。お隣さんとこ、挨拶に行こうね」

その日、あかりは祖母と一緒に隣の家まで挨拶に行くことになった。
去年もその前の年も帰省はしていたけれど挨拶等はすべて父が済ましていたが、今年は地元の知り合いを訪ねるといって朝から出かけている。
必然的にひとりになってしまったあかりを見かねて、祖母は挨拶に行こうと言い出した。

優しく笑う祖母の顔を見て、あかりは少しの罪悪感を覚えた。
田舎なんてださいと思っていたし好きになるところなんて思いつきもしなかった。
だが、それを祖母に伝える気にはならない。言えば祖母が悲しむのは分かっていた。





あかりは祖母と並んで「隣」を目指す。
しかし「家」はどれだけ歩いても見当たらない。周りは青々と生い茂る緑ばかりだ。
舐めていた。田舎の「隣」を舐めていた。どれだけ歩けは辿りつくんだろうか。
あかりの六倍は生きているような祖母は足取りもしっかりしていて全然苦しそうな様子もない。
もう無理、帰ろう、と思ったが、そうすると今来た道を引き返さなければ祖母の家に戻れないことに気付きあかりは脱力する。
そのとき、今まで黙っていた祖母が声をかけた。

「あかり、あれが渋原さんちだよ」

祖母が指差した先には、やはり田舎特有の家がぽつんと建っていた。
こんにちは、と声をかけて「渋原さん」を呼ぶのはあかりの祖母だ。あかり自身はここまで来ることに疲れたので石造りの塀に背を預けて汗を拭っている。
正直な話、隣人のことなんて別にどうでもよかった。
しばらくすると家の中から誰かが出てきた。

「野瀬のばあちゃん、どうしたん?うちのばあちゃんなら田んぼや」
「そうかいそうかい。あかり、この子はここの孫さんで利人くんっていうのよ。あかりと同い年だから十一歳」
「……としひと、くん」

あかりは石塀から離れて祖母の隣に行く。
泥で汚れたランニングシャツにカーキ色の綿パンを履いた利人はそんなあかりを見て少し驚いた顔をした。

「その格好、暑ないんか?」

そう言われてあかりは自分の服を見る。
生地は厚手のものではないしたくさん重ね着をしているわけでもない。お気に入りの服を着てきただけで、どこにもおかしなところはないはずなのに。

「……これのどこが?」

思わず発した言葉は自分で思っていたよりも尖っていた。
そんな時、不穏な空気が漂い始めたこの場に似つかわない声がした。

「あらら、アキちゃん、どうしたの?」
「まあ!美千代さん、今年も息子が孫連れて帰ってきてね。挨拶に伺ってたところよ」
「あらもう、わざわざそんなことしなくていいのに」

田んぼから帰ってきたらしい利人の祖母はあかりの祖母とニコニコ笑いながらおしゃべりに花を咲かせ始めた。
気付けば、利人の姿がなくなっている。
さっさと帰っておけばよかった、とあかりは後悔した。
大人同士の会話なんて何も面白くない。
祖母を見上げてもおしゃべりに夢中であかりの方なんて見向きもしない。これが母だったら違うのに。いつでもあかりを気にしてくれたのに。
妙な孤独感に覆われたあかりは祖母たちから離れ、庭の端に座ってじっと足元を見つめる。蟻がひょこひょこと歩いていた。

「これ、やるわ」

急に声がして、顔を上げると傍に利人が立っていた。
手渡されたのは水色の瓶。

「これは……?」
「ラムネ。ぬるいけど」

瓶の中には青いビー玉がひとつ入っている。

「ばあちゃんたち、話し始めたら長いから。送ってく」

すでに決めてしまったような言い方に、あかりは妙な反発心を露にした。

「……ひとりで帰れる」
「嘘つけ」
「嘘じゃない!」
「足ボロボロのくせによぉ言うわ」

利人の言葉にハッとして足元を見た。
かかとの高いサンダルを履いてきた足は傷だけだ。
はっきり言ってもう歩きたくなかった。

「絆創膏も持ってきたから。ラムネ飲んだら送ってく」

利人はあかりのサンダルの紐を勝手に緩めて傷口に絆創膏を貼る。

「都会の子は泣き虫なぁ」
「泣いてない」

あかりは俯いてぬるいラムネを飲んだ。
心の底から湧いてくる、この感情に蓋をするように。



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