創作長編◆
□Ruin.
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廃屋の中にヴヴヴヴと音を響かせながら錆びた換気扇が生ぬるい風を惰性でかき混ぜている。
暗がりに座りこんだ少年は手首についた鍵の痕をいたわるかのようになぞった。
すっかり萎びてしまった尻尾がパタンと床に落ちる。
「はぁ」
少年は小さく息をついた。
耳をすまして追っ手が来ていないかを慎重に探る。
ふと南西の方向に不自然な存在を感じとり、窓から外を伺った。
見知った白衣が見えた。
「追いつかれて堪まるかよ…!」
脆くなった窓を蹴破って勢いよく走り出す。
音で気付かれてしまったかもしれないが、わざわざ通りに面した扉から出ていってやる必要はない。
ましてや正面からぶつかってこちらに分があるとは思えない相手に、だ。
チラリと後ろを振り返ると、思ったとおり「ニンゲン」が追いかけてきている。
「待て!」
「誰が待つか!」
「ネル、止まれコラァ!」
全速力で走りながら角を曲がる。
止まれと言われて律義に止まってやる馬鹿はいない。
怒号など気にせずひたすら走り続ける。
次の角を曲がった瞬間、待ち伏せていたのか大きな男が飛び出してきた。
「舐めんじゃねえよ」
男をかわし、脚の筋肉に力をこめて足の裏全体で地を蹴る。
驚異的な跳躍力で遠く離れた瓦礫の上に着地しそのまま駆け出そうとして、
「はーい、ストップ」
路上裏から急に伸びてきた脚につまづいて頭から瓦礫の山に突っ込んだ。
慌てて頭を上げると、廃屋の窓から見た白衣が目の前に翻る。
急に胃が痛くなる。
「し、しぐまの…」
「志熊野研究員、でしょうが。偉大なるネル様は研究所を逃げ出した上に礼儀までどっかに置いてったのか?しばくぞ?」
「ぐあっ」
ピンヒールでこれほどの威力が出せるのかというほどの蹴りが腹に入る。
「あんた分かってんの?三毛猫の雄っていうのは生物学的にも貴重な研究対象なのよ」
「だから俺を牢に入れて毎日毎日観察してんだろ?お前らには充分協力してやっただろうが!」
「まだ足りないわよ」
抗議の言葉は、あっさりとはね除けられてしまった。
「なーんの取り柄もないあんたが役に立ってんのよ。感謝しなさいよ」
「お…お前らこそ、ただの人間のくせに、偉そうにしてんじゃねえよ!」
「あたしらは普通の『人間』なのよ。猫人間と一緒にしないでくれる?」
ぐきゅ、とピンヒールの先で尻尾を踏まれた。
痛みに顔がゆがむ。
「ほら、帰るわよ。手間かけさせんじゃないわよ」
志熊野は優しさを貼り付けただけの笑顔になる。
そして少年の左耳についた金属を触りながら、
「まぁ、この探知機があるかぎり、あんたはあたしらから逃げることなんてできないんだしね」
悪魔という種族はこんな風に笑うのだろうか、と少年は思った。
せっかく逃げきることができると思ったのに。
二度とあんな場所に戻ることなんてないと思ったのに。
そう考えるとツンと鼻の奥が痛くなる。
視界までもが水に浸かったようになるかと思ったとき、
「きゃあああぁぁっ!」
バッと空を仰ぐ。
少女が、
「よけてええええぇぇぇ!」
―――落ちてきた。
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2010.9.18