創作長編◆

□Ruin.
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ゲホゲホと呼吸とも咳ともつかない音を出すネルを見ても、ナキを抱えた長い影は執拗にネルの胴を蹴る。
頭に血が上って、ナキは可能な限り手足をばたつかせて抵抗した。

「やめて……離してください!」
「ん?」
「やめて……やめて!」
「うるさい、鳥」
「いっ、ぐ、あ……ッ」

片腕でナキを抱えたまま、バルグはもう片方の手で器用にナキの喉を絞めた。
どこをどう捻れば苦しいのか、どう圧迫すれば呼吸ができなくなるのか理解して絞めて上げる。無表情なのが逆に残忍性を際立たせていた。
ナキは口をパクパクさせてバルグを睨むが、その目には恐怖と薄く保たれるだけの意識が滲んでいる。

「やっぱり鳥は鳴かないほうが綺麗だな」

鬼のように笑ってバルグはさらに力を入れる。
しかし彼はナキを殺さない。生死を問わない捕獲ではなく、「研究対象である細胞が」生きたままでの捕獲を望まれているから。
口角を吊り上げるバルグに対し、平静を取り戻した蛇塚は大きく深呼吸をして血管の浮いた腕に自らの細い手を置いた。
「もう大丈夫よ」と首を振る。バルグが指の力を抜いた途端、ナキの小さい体がだらりと揺れた。
鳥の少女は咳ともつかない呼吸を繰り返した。

「この子は私が預かるわ。あなたはネルをお願い」

蛇塚の戦闘力はネルよりも下だ。いくら手負いとはいえ女一人では抵抗されて逃げられかねない。
ナキを蛇塚に預け地に伏したネルの首元を掴めば、鋭い目がバルグを睨んだ。

「触るな、離せ!」
「めんどくさいな、お前は」
「離せっつってんだろ!」

ネルは咄嗟に服に手を入れ、触れたものをバルグに投げつけた。しかし首を動かしただけでかわされ、何かは遠くへ飛んでいった。
再び手を服に入れようとしたところで、バルグがその腕を掴んだ。抵抗した弾みに服の内側からぽろりと何かが落ちる。
地面の上に転がったのは草と同じ色をした果実。隠れ家にしていた穴のすぐ近くに派生していた、あの果実だった。

「おい、猫。こんなもん投げられて当たったら果汁まみれになるだろ」

不敵に笑いながら、バルグはネルの腕を掴む手に力を込める。
だが――、

「ちょ、ちょっと待って!それ、何?」
「何って……」
「その実よ!」

突然声を上げた蛇塚が指差したのはネルの服から零れ落ちた果実。
不審そうな顔をするネルとバルグなど気にも留めず、蛇塚はナキを抱えたまま果実に顔を近づける。

「見たことがないわ……変異種かしら……」

大きく目を開いてその黄緑色を凝視する姿に、すぐそばにいた二人はあっけにとられる。
手にとってじろじろとそれを見続け、蛇塚はそのまま再び口を開いた。

「ネル、あんたを見逃してあげる」
「は!?」
「蛇塚、お前、何を言ってるんだ?」
「だって私には暴れる動物より黙って研究させてくれる植物の方が魅力的だもの」

蛇塚は果実を見つめたまま言い放った。
こんなみすぼらしいところにこんな素晴らしい研究対象があっただなんて、と顔をとろけさせる。
しかしそれとは対照的に、ネルを締め上げたままのバルグの心中は穏やかではない。

「それじゃあ所長になんて言えばいいんだ」
「あなたは気にしなくてもいいわ。私が言っておくから」
「おい……」
「いいのよ、これだけでも収穫なんだし、きっと所長は許してくれるわ。新しい研究ができるんですもの。この子と一緒に渡せば私の株も上がるしいいことづくめだわ」

そう言って蛇塚はぐったりとしたナキの頬を撫でる。
ネルは思わず耳を疑った。

「何言ってんだよ。ナキも逃がしてくれるんだろ?」
「私は『あなたを』逃がすって言ったのよ。この子も一緒に逃がすだなんて一言たりとも言ってないわ」

にっこりと。それはもう満面の笑みで蛇塚は笑った。
そんなものは詭弁だ。ネルの視界がカッと赤くなる。

「この偽善者が!」
「あら、素晴らしいセリフをありがとう。そうね、偽善者。とってもいい言葉だわ」

蛇塚はクスクスと笑った。
そして唐突に果実に歯を立てる。

「不思議な味がするわね。最初は甘いけれど……この独特の酸味は何かしら……」

すう、と目を細くして蛇塚は遠くを見るような顔をした。バルグは反論することを諦めたらしく、ネルから手を離している。
しかしネルは逃げることなどできない。

「ナキを離せ」
「……お前も大概聞き分けが悪いな。蛇塚が逃がしてやるって言ってるだろ」

バルグがため息を吐きながら言い、「俺は不本意だが」と続けた。
だが、一緒に逃げると約束した彼女を、このまま放っておくわけにはいかない。

ひとりもぐもぐと黄緑の果実を食す蛇塚。
疲れたように周囲を警戒するバルグ。
地面に座り込んだ状態のネル。
蛇塚に抱えられたままのナキ。

たったこれだけの人数なのに妙な違和感を覚える。
なんだ。なんなんだ。
ネルは唯一残った耳をくるりと動かす。
何か、何かないのか。
何か――





「やあやあ、諸君」





――上から男が降ってきた。



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