創作短編2◆

□地獄の沙汰も
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地獄の釜のふちに一人の少女が座っていた。

ぐつぐつと煮える釜の中には罪を犯した罪人たち。
助けてと伸ばされた手も、なんとか逃げ出そうとする足掻きも、釜の中では何の意味もなさない。
しだいに力尽き沈んでいく罪人たちの姿が見えなくなると次の悲鳴がやって来る。
少女は半分ほど潰れた眼球で彼らを見ていた。きょろりと目玉を動かすと目の縁から何かの液体がこぼれる。

「あぁもう嫌になる」

これまた潰れかかった手の平で目元を拭う。
白を通り越して薄気味悪い青白さになった肌は血色と言うものを持っていなかった。
興味本意でつついてみれば、お世辞にも感触の良くない気持ちになるのは必然と言える。
肌の先に透けて見える血管の跡地はかつて彼女が生きていた証だった。

「ハロー、シシ!」

突如、ぶわ、と生ぬるい突風が吹いたかと思うと、全身を深緑色で包んだ男が何もない空中から現れた。
年の頃は人間の年齢でいう二十台前半といったところ。
男はのコートの裾をひらめかせ、少女に声をかける。

「今日も残念な死人たちは元気かい?」
「いえ。見ての通り亡くなっているわ」
「シシにユーモアという概念がないのが心底残念だよ」
「あら、死人が元気なわけないじゃないの」
「しかし残念なことに君は死人だ」

愉快そうに釜の縁を歩きながら少女――シシに近づいてくる彼は、深緑の靴をコツンと鳴らす。
靴の底に彫られた「Zizi」という表記がちらりと見えた。
シシはジジの方を振り向きすらせず言う。

「死人と言っても、ここにいるのはみんなそうだわ。私も、あなたも、この中に浸かっている人たちも」
「まったく残念なことに、ここは地獄だからね」
「私をここに連れてきたのはジジ、あなたでしょう」
「そうだ。残念だけどその通りだ」

ジジは服の裾を翻して釜の上でくるりと一回転する。中の深緑色のシャツが見えた。
何も彼はこの色が好きというわけではない。
気まぐれに全身の色を統一して、また気まぐれに色を変える。深緑の前は蘇芳色だったしその前はラベンダー、さらにその前はショッキングピンクだった。
くるくると楽しそうにジジは回る。
シシが半潰の目玉でそれを見るのが日課になったのはいつからだろう。

「ときにシシ」

ぴたりと静止して、彼は彼女を見た。

「はてさて、残念ながらシシはいつ死んだんだっけ」
「ジジに殺されてからよ」
「残念ながら僕はそれを覚えていないものでね」
「残念なのはあなたの頭ね」
「残念ながら辛辣だね」

乾いた笑いを洩らした彼は、それでもやけに楽しそうだった。
笑いながら再び延々と釜のふちを回る姿は滑稽の何者以外でもない。
シシはふと目線を下げた。
誰かが釜の内壁を上ろうと爪を立てている。そんなことをしても無駄だというのに。
やがて力尽きたその腕は釜の中に沈んでいった。
シシは息をしていない自らの手首を見ながら呟く。

「私はあとどれくらいで死ぬのかしらね」
「残念なことに君は死なないよ?どれだけ死んでも死なないよ?」
「そうね。変な掟よね、屍姫なんて」

地獄の死者には命がない。
たとえ釜の底に沈んでも、釜が溢れそうになったら取り出されて次の地獄へと送られる。苦しみが続く。
しかしそのさなかで体を保てなくなったり精神に異常をきたすことも少なくない。
シシの目線とは反対を向いて回転を制止し、ジジは深緑の靴をコツコツ鳴らす。

「君は残念にも屍姫に選ばれたんだ。もうどれくらいたつ?いつまでもこの釜のふちに座っていないで屋敷に来ようよ」
「選ばれただなんて。私はくじに当たっただけよ。本当はここにいる彼らと同じように苦しみ続けるの。それなのに――地獄王子のあなたと一緒に住むだなんて」
「残念なことに本当の話だからね。シシ、いつまで拒む気だい?」

そこで初めてシシは半潰の目玉でジジを見た。
意思を持った目で、深い緑に身を包んだ彼に言う。

「私は死にたいのよ」
「残念ながらそれはさせないよ」
「王子なら、姫の言うことを聞いてくれるという選択肢はないの?」
「ないね、残念」

ジジはべえっと舌を出して首を振った。緑の彼の、唯一の差し色。
彼から目をそらし、シシはため息をついた。

「地獄も地上と変わらないわね」
「そうだね」

崩れかかった手のひらがその言葉を否定するように疼いた。



end

20130525

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