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□残業ロリポップ
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『決算資料なんですが、見込み額で30日にメールで下さい』

「…え? すいません。電話が遠くて…何日でしたっけ?」

『ええ、ですから30日』

「………わかりました」

ご乱心ですか?わかりましたじゃねーよわかんねーよ。マジでか。ばーかばーか。今日29日じゃん?30日って明日じゃん?もっと早く言えって話だろ。キレていいとこだろ。

経理からの電話を切って、袖机の抽斗から取り出したのはチョコバナナ味のチュッパチャプス。一度開けたら30分。あたしの集中力がベストな状態で維持出来るのは60分。やってやんよ。大人だもんね。お給料は我慢料です。だったらもっと下さーい。

手元には伝票と調書。通知書に領収書と見積書。

よーいどんで、ファイルを開いてエクセルと格闘が始まった。集中すると騒々しさは形を潜めボリュームはミニマムに絞られる。あるのはセルの羅列と関数と数字。そして舌の上でざらつくチョコバナナ味。

チョコバナナは、徐々に小さく溶けていく。やがて溶けてなくなっても、棒は口の中にあるまま。今度はあたしの歯を慰めてね。カミカミしながらファイルを捲る。誰だよ。ここ間違ってんじゃん。消費税繰り上げてんなよ。ルール無用か?

カミカミ棒の潰れ具合と手元の仕事の進捗状況に気付いた頃、やがてホッと重い息を吐いた。PCの下に表示された時刻を見てちょうど1時間だとわかる。うへー。今日これ何サイクルやんですかー?

棒をカミカミ、席を立った。

ごみ箱に真っ直ぐ向かうと、隣の席のニヤけた先輩に呼び止められた。

「俺にもよこせ。飴ちゃん」

どこのジャイアンだよ。

「助けてドラえもーん」

ジャイアンじゃねーよ、そう言って手に持ったチューブファイルの角が頭に落とされた。

「地味に痛いです」
「うん、知ってる。アレ、泣いてんの?かーわいーね」

ニヤけた先輩のニヤけた声。

「お戯れに付き合ってる暇はゴザイマセン」
「好きな子イジメんのは彼氏の特権じゃね?」
「優しい彼が良い」
「テメー、んなもんぜってー物足んねーって」

そんなふうに言う癖に、ファイルの角が当たったところを、節くれだった大きな手で撫でられた。

席に戻ると掌をを広げて見せる先輩。
あたしの大好きな手。だけど言わない。この人すぐに調子に乗っから。

「お手ですか? ワンなんて言うかバカ」

大好きだけど、ここはワタクシが大人になりましょう。大和撫子美学で華麗にスルーして再びPCに向かうと、袖机をガンガン蹴られる。何だよ。どこの輩だよ。

「飴ちゃん寄越せよ」
「残業付き合ってくれたら良いですよ」
「ああ? 調子に乗んなよ?」

それから輩は静かになって普通の先輩になった。だからあたしも再びPCと数字に向き合う。


気付けば定時なんてとっくに過ぎて、誰もいないってオチで。手元を照らす照明以外は誘導灯以外消えていた。あまりに集中していて、自分のとこだけピンスポ当たってんのかと思ってたとか。言えないけどちょっと思ってた。

背伸びしながら足首回しつつフロアも見回して、やっぱり優しい彼氏が良い。何も言わずに帰るような、彼女に飴たかるような輩じゃない彼氏が。

…寂しいじゃんかよー。

もう一頑張りしたら帰ろう。寂しいまんまコンビニ弁当買って、一人で晩酌してお笑い見て寝てやる。

抽斗から取り出すチュッパチャプス。今度はチェリー味。

さて、やるか。と意気込んだところで椅子をクルッと90度回った。外的な力に。
何だよ。怖ぇーじゃん!誰だよ!シックスセンスなんてねえよ!

ビビってるあたしの目の前には湯気を纏った珈琲が差し出される。

「飴ちゃん、くれんだろ?」

右隣りの机に凭てあたしを見下ろすニヤけた先輩が、腕を伸ばしてあたしの舌でざらつくチェリー味を奪った。

「窃盗か」

珈琲を啜りつつ、下から睨んでやる。チェリー味は、一瞬で大人な苦味に流され消えた。

「君みたいに甘いね、この飴ちゃん」

ニヤけたまんま、チュッパチャプスを咥えながら吐き出された言葉は、珈琲の苦味すら流してしまう甘過ぎるもの。

「…ぉぇぇ…」

「うっせ、ばーか。早くしろよ。待ってんだから」

ガンガンと、袖机を蹴られた。助けてドラえもーん。

「どんだけ飴食いたかったんですか。かっぱらったんだから帰れば良いのに」

ぱちぱちと、先輩を見ずに作業を開始する。

「あ? 待っててくれてありがとうだろ?」

どこの何様だよ!と言ってやろうと口を開くと、再び広がるチェリー味。

「いって…前歯打ったし」

そう、もう少し優しい彼氏が欲しい。無理矢理飴玉突っ込んで来ない程度に。

「間接キッスはチェリー味」

キッスって言うな。ニヤけた先輩は待ってんのか邪魔してんのかわかんない。いや、多分邪魔してるし。

「終わんないから黙ってて下さい」

「好きな子イジメんのは彼氏の特権だっつってんだろうが」

そう言ってあたし頭を撫でながら、肩越しにPCを覗き込んだ先輩が用の済んだファイルを持ち上げた。

「仕方ねーから俺様が片付けてやる」

とうとう俺様かよ!

もう少しで終わるから、そしたらまたあたしより大きい手で、節くれだった男の指で撫でてくれないかな。
そんな事を考えながら、あたしは再び指を動かし始めた。ピアノを弾くみたいに指が踊るのは、可愛い彼女の特権だ。



END.
20100328 ラブログ掲載

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